なぜオールドパーは日本の宰相たちに愛されたのか——斜めに立つボトルと、152歳まで生きた男の伝説
吉田茂や田中角栄が愛飲したことで知られるオールドパー。152歳まで生きたとされる男の伝説、「岩倉使節団」俗説の真相、斜めに置いても倒れないボトルの縁起、吉田から田中へ渡った一杯の逸話——日本で「宰相の酒」となった理由を読み解く。
昭和の政財界を語る逸話には、たびたび同じウイスキーが登場する。ずんぐりとした四角い瓶、陶器のようなひび割れ模様、そしてラベルに描かれた白髭の老人——オールドパーだ。吉田茂や田中角栄が愛飲したことで知られ、いまも贈答の定番として選ばれ続けている。
なぜ数あるスコッチの中で、この一本だけが「宰相の酒」と呼ばれるほど日本に根を下ろしたのか。この記事では、ラベルの老人の正体、有名な「岩倉使節団」の逸話の真相、斜めに立つボトルに込められた縁起、そして吉田茂から田中角栄へ受け継がれた一杯の逸話まで、オールドパーが日本で特別な地位を築いた理由を読み解く。
先に結論——オールドパーが日本で愛された3つの理由
- 物語: 152歳9ヶ月まで生きたと伝えられる男の名を冠した、「長寿」の酒であること。
- 縁起: 角を下にして斜めに置いても倒れないボトルが、「倒れない」「右肩上がり」のゲン担ぎとして受け止められたこと。
- 人: 吉田茂が好み、その吉田から振る舞われた田中角栄が生涯飲み続けたとされる——宰相から宰相へ渡った逸話があること。
ラベルの老人は誰か——152歳まで生きたとされる男
ボトルに描かれた老人は、トーマス・パーという実在の人物だ。ウェストミンスター寺院に残る墓碑によれば、1483年に生まれ、152歳9ヶ月を生きた英国の農夫とされる。墓碑には、エドワード4世から時の国王チャールズ1世まで、8人の王と2人の女王——「10人の君主の治世を生きた」とも刻まれている。
その評判を聞きつけたアランデル伯トマス・ハワードが、パーをロンドンへ連れ出し、チャールズ1世に引き合わせた。パーはロンドンに着いて数週間で亡くなり、1635年11月、王の命によりウェストミンスター寺院の南袖廊に葬られた。シェイクスピアらの記念碑が並ぶ「詩人のコーナー」がある一角だ。ラベルを飾る肖像は、バロック期の巨匠ルーベンスの作と伝えられるもの(真偽には諸説ある)だ。
もっとも、152歳という年齢を現代の歴史家の多くは事実とは見ていない。あくまで「伝説」である。それでも、この途方もない長寿の物語こそが、後にウイスキーの名前として選ばれる決め手になった。
1909年、ロンドンで生まれた「長寿」の酒
オールドパーを世に送り出したのは、ロンドンでウイスキー商を営んでいたジェームズとサミュエルのグリーンリース兄弟だ。父の代からスコッチを扱っていた兄弟は、1871年に自らブレンドしたウイスキーの販売を始めたとされる。記録で確認できるオールドパーの発売は1909年。時代を超えて品質を変えずに愛される酒であってほしい——そんな願いを、英国一の長寿者の名に託した命名だった。
ブレンドの核となるキーモルトは、スペイサイドのクラガンモア蒸溜所の原酒。そこにスコットランド各地の個性の異なるモルトとグレーンを重ね、まろやかで奥行きのある味わいに仕上げている。四角いボトルはグリーンリース兄弟が考案したもので、表面を覆うひび割れ模様(クラックル)は17世紀の陶製ボトルをイメージしたものとされる。現在はディアジオ傘下のブランドだ。

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