なぜオールドパーは日本の宰相たちに愛されたのか——斜めに立つボトルと、152歳まで生きた男の伝説
吉田茂や田中角栄が愛飲したことで知られるオールドパー。152歳まで生きたとされる男の伝説、「岩倉使節団」俗説の真相、斜めに置いても倒れないボトルの縁起——日本で「宰相の酒」となった理由を読み解く。
昭和の政財界を描いた回想録やドラマには、たびたび同じウイスキーが登場する。ずんぐりとした四角い瓶、陶器のようなひび割れ模様、そしてラベルに描かれた白髭の老人——オールドパーだ。吉田茂や田中角栄が愛飲したことで知られ、いまも贈答の定番として選ばれ続けている。
なぜ数あるスコッチの中で、この一本だけが「宰相の酒」と呼ばれるほど日本に根を下ろしたのか。この記事では、ラベルの老人の正体、有名な「岩倉使節団」の逸話の真相、そして斜めに立つボトルに込められた縁起まで、オールドパーが日本で特別な地位を築いた理由を読み解く。
ラベルの老人は誰か——152歳まで生きたとされる男
ボトルに描かれた老人は、トーマス・パーという実在の人物だ。1483年に生まれ、1635年に152歳9ヶ月で亡くなったと伝えられる、英国史上最長寿の伝説を持つ農夫である。かつてのラベルには、その生没年とともに「10人の英国王の時代を生きた」という伝説が記されていた。
その評判は貴族を通じて都に伝わり、パーはロンドンへ連れられて時の国王チャールズ1世に謁見した。死後はウェストミンスター寺院の「詩人のコーナー」——シェイクスピアの記念碑も立つ、文人たちが眠る一角——に埋葬されている。バロック期の巨匠ルーベンスが描いたと伝えられる肖像画が、いまもラベルを飾る。
もっとも、152歳という年齢を現代の歴史家は事実とは見ていない。教会記録の取り違え説などが有力で、あくまで「伝説」である。それでも、この途方もない長寿の物語こそが、後にウイスキーの名前として選ばれる決め手になった。
1909年、ロンドンで生まれた「長寿」の酒
オールドパーを世に送り出したのは、ロンドンでウイスキー商を営んでいたグリーンリース兄弟だ。1871年から事業を築いた彼らは、1909年にこのブレンデッドスコッチを発売する。パーの並外れた長寿をウイスキーの熟成に、長い人生で培われた叡智をブレンドの技になぞらえた命名だった。
ブレンドの核となるキーモルトは、スペイサイドの名門クラガンモア蒸溜所のモルト。エレガントで複雑な香味で知られる原酒に、アイラなど各地の原酒を重ね、まろやかで奥行きのある味わいに仕上げている。四角いボトルの表面を覆うひび割れ模様は、17世紀の陶器に着想を得たものとされる。現在はディアジオ傘下のブランドとして、世界で販売されている。

「岩倉使節団が持ち帰った」は本当か
オールドパーの日本での来歴として、長く語られてきた逸話がある。「明治6年(1873年)、欧米を視察した岩倉具視の使節団が持ち帰った最初のスコッチがオールドパーだった」というものだ。
しかし、この話は年代が合わない。オールドパーの発売は1909年(明治42年)。岩倉具視は1883年、発売を見ることなくこの世を去っている。使節団が何らかの洋酒を持ち帰った可能性はあるが、それがオールドパーだったとは考えられず、別のウイスキーだったと推察されている。
興味深いのは、事実でないにもかかわらず、この俗説が今日まで語り継がれてきたことだ。「日本の洋酒史の最初期からあった」と信じられるほど、オールドパーは早くから日本に溶け込んでいた。実際、発売からほどなく日本に入り、明治の終わりから大正にかけて飲まれるようになったとされる。
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