なぜジャックダニエルの製法は、ある奴隷の蒸留家に始まったのか——ニアレスト・グリーンと、150年間伏せられていた名前
世界で最も売れるアメリカンウイスキー、ジャックダニエル。その製法は、奴隷だった蒸留家ニアレスト・グリーンから受け継がれたと伝わる。150年ものあいだ伏せられ、近年ようやく認められたテネシーウイスキーの原点をたどる。
世界で最も売れているアメリカンウイスキーとして知られる、ジャックダニエル。あの角ばった黒いボトルの味を決めた製法は、実はひとりの奴隷だった蒸留家から受け継がれたものだった——長く表に出てこなかったこの事実を、造り手自身が公に認めたのは、ほんの数年前のことだ。この記事では、テネシーウイスキーの根っこにいる人物、ニアレスト・グリーンの物語をたどる。

少年ジャックと、説教師の農場
1850年代、幼くして身寄りをなくした少年ジャスパー・ニュートン・ダニエル——のちの「ジャック」——は、ダン・コールという人物のもとで働きはじめる。コールは説教師でありながら食料品店を営み、裏では蒸留所も回していた。少年ジャックは、そこでウイスキーづくりに出会う。
長らく公式には「ジャックにウイスキーを教えたのはコールだ」と語られてきた。だが、その農場で実際に蒸留の腕を握っていたのは、コールが所有していた奴隷たちだった。
「ニアレストが、いちばんの造り手だ」
その中心にいたのが、ネイサン・"ニアレスト"・グリーン。伝わるところでは、コールは幼いジャックにグリーンを引き合わせ、「アンクル・ニアレストは、私が知るかぎり最高のウイスキー職人だ」と紹介したという。こうした証言の多くは子孫の口伝と状況証拠に基づくもので、細部まで一次資料で裏づけられているわけではない。それでも、グリーンが卓越した蒸留家であり、若いジャックの師であったこと自体は、いまや造り手も公に認めている。
グリーンが磨いていたのは、蒸留したての原酒をサトウカエデの木炭でゆっくり濾す技だった。
リンカーン郡工程——テネシーを別物にした技
この木炭濾過は「リンカーン・カウンティ・プロセス(チャコールメロウイング)」と呼ばれる。蒸留を終えた無色の原酒を、樽に入れる前に何フィートも積んだサトウカエデの炭にくぐらせる。炭は香りを足すのではなく、角のある雑味や穀物っぽさを削り、口当たりをまろやかにする。バーボンとほぼ同じ材料で造られながら、テネシーウイスキーが一段なめらかに感じられるのは、この一手間があるからだ。
グリーンはこの工程の名手だった。ジェントルマンジャックのように炭濾過を二度くり返す銘柄を口にすると、その「まろやかさ」の源流に触れられる。

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