なぜメーカーズマークは、一本ずつ手作業で赤い封蝋を施すのか——台所の揚げ鍋から生まれたバーボンの美学
バーの棚で一瞬で見分けられる赤い封蝋。メーカーズマークはなぜ今も一本ずつ手作業で瓶を蝋に浸けるのか。家伝のレシピを燃やした創業者と、台所でブランドの顔をつくった妻マージの物語。
バーの棚に何十本ものボトルが並んでいても、メーカーズマークだけは一瞬で見分けられる。瓶の首から不揃いに垂れる、あの赤い封蝋(シーリングワックス)だ。機械で大量生産すれば安く速く作れる時代に、このバーボンは今も一本ずつ、人の手で瓶を蝋に浸けている。なぜそこまでするのか。答えは1950年代のケンタッキー、ある夫婦の台所にまで遡る。
家伝のレシピを燃やした男
サミュエルズ家は18世紀にスコットランド・アイルランド系移民としてアメリカに渡り、代々ウイスキー造りに携わってきた一族だ。しかしビル・サミュエルズ・シニアは、先祖伝来の味を「荒々しすぎる」と感じていた。1953年10月、彼はケンタッキー州ロレットの小さなバークス蒸溜所を3万5000ドルで買い取って再出発を決めると、家に伝わるレシピをあえて燃やしたと伝えられる。過去の延長ではなく、まったく新しいバーボンをゼロから設計するという宣言だった。
パンを焼いて決めた配合
とはいえウイスキーは熟成に何年もかかる。候補のレシピをすべて蒸溜して寝かせ、飲み比べる時間はない。そこで彼が取った方法が面白い。候補となる穀物の配合それぞれでパンを焼き、味を比べたのだ。幾多のパンの中で最も口当たりがよかったのは、バーボンの定番であるライ麦を使わず、冬小麦を使った配合だった。
こうして、トウモロコシ70%・冬小麦16%・大麦麦芽14%——ライ麦ゼロという、当時としては異色のマッシュビル(穀物配合)が生まれた。ライ麦が生むスパイシーな刺激の代わりに、小麦の柔らかな甘みが前に出る。メーカーズマークが「初心者にも飲みやすいバーボン」と言われ続ける理由は、この一斤のパンにある。
ブランドの「顔」は、すべて妻がつくった
中身を設計したのがビルなら、私たちが知るメーカーズマークの姿をつくったのは、妻のマージ・サミュエルズだ。ブランド名、瓶の形、ラベルの書体、そして赤い封蝋——そのすべてが彼女の発案だった。
錫器(ピューター)の収集家だった彼女は、職人が自らの作品に刻む「メーカーズマーク=作り手の刻印」に品質の証を見出し、それをそのまま新しいバーボンの名にした。ラベルに刻まれた「SIV」の印は、星が蒸溜所のあるスターヒルファーム、Sがサミュエルズ家、ローマ数字のIVが「4代目の蒸溜家」を表す。ちなみにこのIV、後年家系を数え直したところ実際には6代目だったことが分かっている。それでも刻印は、当時のまま残されている。
そして封蝋である。コニャックのボトルに施された封蝋に着想を得たマージは、自宅の台所で家庭用のフライヤーに赤い蝋を溶かし、最初のボトルを自らの手で浸けた。1958年に世に出た第一号ボトルから今日まで、赤い蝋はこのブランドの顔であり続けている。マージは2014年、これらの功績によってケンタッキー・バーボンの殿堂入りを果たした。
今も、一本ずつ人の手で
現在もロレットの蒸溜所では、ボトルを一本ずつ人の手で蝋に浸けている。だから蝋の垂れ方は一本ごとに違い、厳密に同じボトルは二つと存在しない。効率だけを考えれば機械化したほうがいいに決まっている。それでも手作業を守るのは、「大量生産の対極にある、手づくりの小さなバーボン」という創業の思想そのものが、このブランドの商品だからだ。
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