なぜ「ロイヤル」を名乗れるスコッチは二つだけなのか——王が惚れた一杯と、19世紀に授かった称号のゆくえ
スコットランドに150を超える蒸溜所がありながら、名前に「Royal」を冠して稼働しているのは二つだけ。王の名を得た蒸溜所と消えた三つ目、そして名前の称号と現代の王室御用達の違いを追う。
スコッチの棚を眺めていると、ときどき「Royal」という言葉が目に飛び込んでくる。ロイヤルロッホナガー、ロイヤルブラックラ。堂々とした響きだが、よく考えると不思議だ。グレンで始まる名前は数え切れないほどあるのに、なぜ「ロイヤル」だけはこれほど少ないのだろう。
答えは単純で、勝手に名乗れないからである。スコットランドには150を超える蒸溜所がひしめいているのに、名前に「Royal」を冠して稼働しているのは、いまも二つしかない。しかもその称号を与えたのは、いずれも19世紀の君主だ。
この記事では、その二つがどうやって王の名を手に入れたのかをたどる。そのうえで「消えた三つ目のロイヤル」の顛末と、蒸溜所名の「Royal」が現代の王室御用達とどう違うのかを見ていきたい。
王の名を得た最初のスコッチ——ロイヤルブラックラ
先陣を切ったのは、ネアン近郊のブラックラ蒸溜所だった。創業は1812年、キャプテン・ウィリアム・フレイザーという人物によるものである。
転機は1830年代。時の国王ウィリアム4世がこの蒸溜所のウイスキーを気に入り、ロイヤルワラント(王室御用達の認定)を与えた。スコッチウイスキーの蒸溜所としては、これが史上初のことだったとされる。以来この酒は「The King's Own Whisky(王ご自身のウイスキー)」と謳われるようになった。授与の年は資料によって1833年とも1835年とも記され一致していないが、1830年代であることは各所の記述で共通している。
さらに1838年、即位まもないヴィクトリア女王がこの認定を更新した。二代の君主に認められたことで、「ロイヤル」の名は蒸溜所に定着する。
その後の歩みは平坦ではない。第二次大戦中の大麦統制で一時休止し、1985年には操業を停止。息を吹き返したのは1991年のことだった。1998年からは、デュワーズを擁するジョン・デュワー&サンズ(バカルディ傘下)が運営している。
2019年にはシングルモルトのレンジが刷新され、現在の主力は12年・18年・21年。いずれもシェリー樽でのフィニッシュを施した、やわらかく甘やかなハイランドモルトに仕上がっている。

王のとなりに建った蒸溜所——ロイヤルロッホナガー
もう一つのロイヤルは、事情がやや異なる。王のほうが、たまたま隣に越してきたのだ。
ロッホナガー蒸溜所は1845年、ジョン・ベッグがディー川の南岸に建てた。同じ名を冠した先行の蒸溜所は対岸にあったが、建て直すたびに焼け落ちている。競争相手による放火だったとも語られるものの、確たることは分からない。
決定的だったのは、川沿いに1マイルほど行った先にバルモラル城があったことである。しかもこの時期、ヴィクトリア女王とアルバート公はこの城に移り住んだばかりだった。
1848年、ベッグは機械や技術に関心の深かったアルバート公に、蒸溜所見学の招待状を送る。返事は驚くほど早かった。翌日、公は女王と年長の子どもたち三人を伴って蒸溜所に現れた。この訪問をきっかけに蒸溜所はロイヤルワラントを授かり、のちに「ロイヤルロッホナガー」と名を改めている。
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