なぜヘヴンヒルは、蒸溜所ごと焼け落ちても一日も出荷を止めなかったのか——9万樽を奪った1996年の火災と、ライバルが引き受けた蒸溜
1996年11月7日、嵐の中の出火でヘヴンヒルは熟成庫7棟と蒸溜所を失い、約9万樽が消えた。それでも出荷は止まらず、競合が蒸溜を引き受けた。ルイビルへの回り道と、28年ぶりの帰還をたどる。
エライジャ・クレイグ、エヴァン・ウィリアムス、リッテンハウス ライ。手に取りやすい値段のわりに味には妙に骨がある——バーボンを少し飲み進めた人なら、たいてい世話になる一群です。造っているのはケンタッキー州バーズタウンのヘヴンヒル。
ところが、この会社のウイスキーには不思議なところがあります。本拠地はバーボンの都バーズタウンなのに、いま棚に並んでいる原酒のほとんどは、約66km離れたルイビルの、まったく別の名前の蒸溜所で蒸溜されたものなのです。
理由は、1996年11月7日の午後にあります。
1996年11月7日、バーズタウンを襲った嵐
その日、バーズタウンには激しい嵐が来ていました。北西の風は時速50マイル、瞬間的には時速75マイル(約120km)の突風が吹いたと記録されています。午後2時ごろ、ヘヴンヒルの熟成庫のひとつ——アルファベットのIを冠した「ウェアハウスI」——から火が出ました。
じつは、出火原因は特定されていません。会社自身は落雷によるものとしていますが、連邦のアルコール・タバコ・火器局(ATF)の全米対応チームが入っても、燃え方が激しすぎて証拠が失われ、原因は「特定できず」と分類されました。放火の跡は見つかっていません。強風で建物脇の送電線が窓を叩いていたという証言もあります。
その熟成庫では、約2万樽が眠っていました。中身は度数50〜60%台の可燃性の液体で、容器は木。火がつけば、これほど燃えやすい建物もありません。崩れた建物から燃える原酒が坂を流れ下り、下にあったウェアハウスC・Dへ火を移していく。従業員はそれを「火の川」と呼びました。現場を見たヘヴンヒルのマスターテイスターは、のちに「核爆弾が落ちたようだった」と振り返っています。
数時間で、7棟の熟成庫と蒸溜所が消えた
火が収まったとき、失われていたのは44棟あった熟成庫のうち7棟と、創業の地に建っていた蒸溜所——オールド・ヘヴンヒル・スプリングス蒸溜所——でした。ヘヴンヒルは1935年、シャピラ家の五兄弟と地元の投資家たちが立ち上げた会社で、そこはまさに出発点にあたる場所です。
消えた原酒は、会社の公表で92,000樽(報道では約9万樽)。被害額は施設2,200万ドル、原酒800万ドルの計3,000万ドルと報じられています。当時の世界のアメリカンバーボン供給の約2%に相当したとも言われますが、この「2%」は各所で繰り返される概算で、厳密な統計ではない点は留保しておきます。
蒸溜設備を失うのは、ウイスキーメーカーにとって心臓を失うようなものです。しかも熟成には時間がかかるため、今日造れなかった原酒の穴は、何年も先の棚に空きます。ふつうなら、ブランドがそのまま消えても不思議のない事故でした。
ライバルが引き受けた蒸溜
ここからが、この話がバーボンの世界で語り継がれる理由です。
火災の直後、近隣の競合——クレアモントのジムビーム、そしてブラウンフォーマン——が、ヘヴンヒルの新酒を自社の設備で蒸溜し、樽詰めまで引き受けました。出来上がった樽は、焼け残ったヘヴンヒルの熟成庫へ運び込まれました。
バーボンの個性は、原料穀物の配合(マッシュビル)や酵母、サワーマッシュの管理といった、各社が門外不出にしている手順の積み上がりでできています。その造りを競合の釜に委ねるという判断が、どれだけのものだったかは想像がつきます。
ヘヴンヒル側も止まりませんでした。熟成庫は37棟が焼け残り、熟成1日目から18年ものまでの樽が生きていました。瓶詰め設備も無事です。蒸溜の仕事がなくなった従業員は瓶詰め工程などへ配置替えされ、解雇はゼロ。当時の社長マックス・シャピラは、出荷と加工を一日も止めなかったと振り返っています。
買ったのは「ルイビルの新しい蒸溜所」だった
委託蒸溜でしのいだのは、2年あまり。自前の蒸溜所を建て直すか検討していたところに、思わぬ機会が訪れます。ディアジオ傘下のユナイテッド・ディスティラーズが、稼働を止めていたルイビルのバーンハイム蒸溜所を売りに出したのです。
バーンハイムは1992年に建てられた、当時のバーボン業界でもっとも新しい設備のひとつ。失った生産能力をまるごと置き換えられる規模がありました。ヘヴンヒルは1999年2月、レンガ造りの熟成庫7棟やオールド・フィッツジェラルドなどのブランドとあわせて、これを取得します(買収額は1億7,100万ドルと報じられています)。2000年には完全な生産体制に戻りました。
つまり1999年から2025年まで、ヘヴンヒルのウイスキーはすべて「バーズタウンの会社が、ルイビルで蒸溜したもの」でした。熟成庫はバーズタウンのあるネルソン郡と、ルイビルのあるジェファーソン郡に分かれ、瓶詰めはバーズタウンで続きました。ボトルやデータベースの表記でバーンハイム蒸溜所の名を見かけるのは、この歴史のためです。なおバーンハイムは、いまも同社の主力蒸溜所として動いています。
この名前自体はもっと古く、1897年にアイザック・バーンハイムがルイビルに建てた蒸溜所にさかのぼります。その名がそのまま銘柄になっているものもあります。2005年に登場した、小麦を51%使うウィートウイスキー。アメリカでは数少ないスタイルです。
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