なぜクラウンローヤルは、紫の袋に包まれて売られているのか——国王と王妃に捧げられた一杯と、25年カナダを出なかった理由
酒屋で一本だけ布をまとうクラウンローヤル。あの紫の袋は、1939年の英国王カナダ訪問に捧げられたという出自の名残だった。ギムリの町、25年の国内限定、そして世界一に選ばれたライ。
酒屋の棚で、そのボトルだけが布をまとっている。濃い紫のフェルト地に、金色の飾り紐。中身を見せずに立っているそのウイスキーが、クラウンローヤルだ。
なぜこの一本だけが、袋に包まれて売られているのか。答えは、このウイスキーが「売るため」ではなく「献じるため」に造られた酒だった、という出自にさかのぼる。
国王と王妃が、初めてカナダの大地を踏んだ年
1939年5月から6月にかけて、ジョージ6世と王妃エリザベスがカナダを訪れた。英国の君主が在位中にカナダを訪問したのは、このときが初めてだった。二人は特別列車で大陸をほぼ横断し、東の海岸から西の海岸まで、約1か月をかけて各地を回っている。
ヨーロッパに戦争の影が濃くなっていた時期である。この訪問には、来たるべき有事に向けて大西洋を挟んだ結束を確かめる意味と、カナダが英連邦のなかで独立した国であることを内外に示す意味があったとされる。
その歴史的な旅に合わせて、シーグラム社の社長サミュエル・ブロンフマンが、国王と王妃に捧げる一本として世に出したのがクラウンローヤルだった。名前は文字どおり「王冠」と「王室の」。ブレンドを完成させるまでに600を超える試作を重ねたという逸話が広く語られているが、これは公式資料で確認できる話ではなく、ブランドにまつわる伝承として受け止めておくのが妥当だろう。
確かなのは、この酒が最初から「王に差し出す器」として設計されていたということだ。カットガラスを思わせるデカンタ型の瓶に、王冠をかたどった栓。そしてそれを包む、紫の袋。
紫という色が、そもそも王のものだった
紫は、古くから洋の東西を問わず高貴な色として扱われてきた。染料が希少で高価だった時代の名残である。金糸の飾りをまとった濃い紫は、それだけで王権の記号として機能する。
つまりあの袋は、ラッピングであると同時に、このウイスキーが何のために生まれたかを一目で伝える「肩書き」だった。ボトルを隠す布ではなく、ボトルに冠をかぶせる布だったと言ったほうが近い。
面白いのは、その袋が発売から80年以上たったいまも外されていないことだ。多くのブランドが装飾を削ってコストを下げてきた時代に、クラウンローヤルは袋という意匠そのものを手放さなかった(いまでは銘柄ごとに黒や褐色の袋もあるが、包むという作法は変わっていない)。北米では、空になったボトルの袋を捨てずに小物入れやサイコロ入れとして使う習慣が定着しており、袋そのものがブランドの記憶装置になっている。
定番のファインデラックスも、もちろんこの袋をまとって棚に並ぶ。
25年間、カナダを出なかった
もうひとつ、この酒の性格をよく表している事実がある。クラウンローヤルは1964年まで、カナダ国内でしか売られていなかった。
発売から四半世紀、国境の外に出さなかったのだ。王室訪問という国家的な出来事に紐づいた酒を、まずカナダ人のための酒として置いておいた、と読むこともできる。国外へ出たあと、この一本はアメリカで爆発的に受け入れられ、いまでは米国で最も売れているカナディアンウイスキーになった。
一方で、造られる場所は一度移っている。発売当時の舞台はオンタリオ州ウォータールーの蒸溜所だったが、1992年にここが閉じ、以後クラウンローヤルはマニトバ州ギムリ——ウィニペグ湖のほとりにある、人口2千人あまりの小さな町で造られている。シーグラムがギムリに蒸溜所を構えたのは1968年のことだった。
なお、シーグラムという会社そのものはもう存在しない。2000年にヴィヴェンディに買収され、2001年末には酒類・ワイン事業がディアジオとペルノ・リカールへ分割売却されて、クラウンローヤルはディアジオの手に渡った。ブロンフマンの帝国が消えたあとも、袋だけは残ったわけである。
「軽い酒」という評価を、自分でひっくり返した
カナディアンウイスキーは長く、「軽くてなめらか、混ぜて飲むための酒」という枠で語られてきた。実際クラウンローヤルの定番も、角の取れた甘みと穏やかな口当たりが身上で、そこが親しみやすさでもあり、愛好家からの評価が上がりにくい理由でもあった。
その空気が変わったのが2015年である。ライ麦を主体に組んだ「ノーザンハーヴェストライ」が、ジム・マレーの『ウイスキー・バイブル』2016年版で世界一のウイスキーに選ばれた。同書で世界一に選ばれたカナディアンは、これが初めてだった。
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