なぜ町の食料品店が、85年もののスコッチを持っていたのか——1940年に「自分の樽」を詰めさせた会社と、閉じていた蒸溜所
発売時点で世界最長熟成の85年ものを世に出したのは、大手ではなくスコットランドの町の食料品店だった。ゴードン&マクファイルが100年以上続ける「新酒の段階で自分の樽を蒸溜所に詰めさせる」流儀と、閉じていたベンロマックを1993年に買って取り戻そうとしたものをたどる。
2025年10月、1本12万5,000ポンドのシングルモルトが、125本だけ発売された。中身は85年熟成。発売の時点で、世界でいちばん長く樽で眠ったシングルモルトである。
出したのは、大手の酒類会社ではない。スコットランド北東部エルギンで、1895年に食料品店として始まった会社だ。
85年熟成ということは、1940年の時点で誰かがその樽を押さえていたことを意味する。第二次世界大戦のさなか、町の食料品商が、自分の樽をグレンリベット蒸溜所に持ち込んで詰めさせていたのだ。
その会社、ゴードン&マクファイルは独立系ボトラー——他社が蒸溜した酒を、自社のラベルで瓶詰めして売る会社——として知られている。ではなぜ、酒を「選ぶだけ」だったはずのこの会社が、1993年に、閉じていた蒸溜所をひとつ買ったのか。
1895年、エルギンの南通りに開いた店
ゴードン&マクファイルは1895年、ジェイムズ・ゴードンとジョン・アレクサンダー・マクファイルが、エルギンのサウス・ストリートに開いた食料品・ワイン商として始まった。スペイサイドのただ中である。歩いて行ける範囲に、蒸溜所がいくつもあった。
創業から1年と経たないうちに、ジョン・アーカートという若者が店に入る。彼は1915年に筆頭経営者となり、ウイスキーの仲買を本格的に手がけはじめた。以来この会社はアーカート家のもとにあり、4代にわたって同じ町から経営されている。
つまりこの会社の出発点は、蒸溜でもブレンドでもない。近所の酒を、店の人間が自分の舌で選ぶことだった。
決定的な違いは、「いつ樽を買うか」だった
独立系ボトラーの多くは、ある程度熟成の進んだ樽を買う。中身の出来をおおよそ見きわめてから手を出せるので、外れが小さい。
ゴードン&マクファイルの流儀は、そこが違う。ジョン・アーカートは、まだ何の味もついていない新酒(ニューメイク)の段階で、自社が用意した樽をスペイサイド各地の蒸溜所に持ち込み、そこで詰めさせて寝かせた。ブレンド用に、あるいはいずれシングルモルトとして瓶詰めするために。他の多くのボトラーと同社を分けているのは、この一点である。
この違いは、想像より大きい。
新酒の段階で樽を選ぶということは、その酒が何十年後にどう育つかを、味が一滴も乗っていない時点で賭けるということだ。熟成は急げない。判断が正しかったかどうかは、判断した本人が現役でいるあいだには分からないこともある。
そして、この賭けが桁違いの形で返ってきた例がある。
1940年2月3日、ジョン・アーカートと息子のジョージは、グレンリベット蒸溜所で自社が用意したシェリー樽に新酒を詰めさせた。
この日に詰められた樽は、ひとつではなかった。そのうちの一樽(cask 340)が2020年に瓶詰めされて翌年に80年ものとなり、別の一樽(cask 336——シェリーを詰めていたアメリカンオークだった)が2025年2月5日に瓶詰めされて、冒頭の85年ものになった。戦時下の判断が、そのまま二度、商品になったわけである。(そもそもなぜ「100年もの」が存在しないのかは別の記事に書いた。)
The Glenlivet 1940 85 Year Old "Artistry in Oak"
🏴 スコットランド ・ ザ・グレンリベット蒸留所 ・ シングルモルト ・ 85年 ・ 43.7%
1968年——「蒸溜所ごとに味が違う」を棚に並べた
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