なぜハイボールは日本の「とりあえずの一杯」になったのか
居酒屋で「とりあえずハイボール」。かつて瀕死だったウイスキーを国民的な一杯へと押し上げたのは何だったのか。戦後の酒場文化と、2008年に仕掛けられた一大プロジェクトから、その理由を読み解く。
居酒屋の席に着いて、まず頼む一杯が「とりあえずハイボール」——。いまや当たり前になったこの光景は、実はごく最近つくられたものだ。ウイスキーをソーダで割るだけの単純な飲み物が、なぜ日本でこれほど圧倒的に定着したのか。その裏には、一度は瀕死に追い込まれた国産ウイスキーの、したたかな復活戦略があった。
ハイボールは新しくない——戦後の酒場文化
まず押さえておきたいのは、ハイボール自体は決して新しい飲み方ではないということだ。日本では戦後間もない1950年代、洋酒がまだ高嶺の花だった時代に、安価なウイスキーのソーダ割りが庶民の楽しみとして広まった。その舞台が「トリスバー」である。寿屋(現サントリー)は1946年に廉価なトリスウイスキーを発売し、1955年にはトリスバーが登場、仕事帰りのサラリーマンでにぎわった。ピーク時の1960年代には全国に二千軒近くあったとされる。ハイボールはこの時代、確かに大衆の酒だった。
だがその後、日本人の酒の好みはビール、そして焼酎やチューハイ、ワインへと移っていく。ウイスキーは「オヤジの飲み物」という古いイメージをまといはじめ、市場は長い下り坂に入った。国内出荷量は1983年をピークに減り続け、2000年代半ばには最盛期の5分の1程度まで落ち込んだと報じられている。ハイボールという飲み方も、いつしか忘れられかけていた。
2008年、意図的に仕掛けられた「復活」
流れが変わったのは2008年だ。サントリーは、ロングセラーの角瓶を軸に「角ハイボール」を前面に押し出す復活プロジェクトを本格始動させる。狙いは明快で、ウイスキー離れした若年層に「炭酸で割った、食事に合う軽い酒」として提案し直すことだった。ここが重要な点で、彼らはウイスキーを「じっくり味わう高級品」としてではなく、あえて食中酒・カジュアルな一杯として再定義したのだ。

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