なぜウイスキーには50mlの「ミニボトル」があるのか——ダブリンで生まれた71mlの「ベイビー・パワーズ」と、アメリカの町が販売を禁じた理由
機内やホテルでおなじみの50mlの小瓶。その先駆けとされるのが、1889年にダブリンのパワーズが出した71mlの瓶だ。50mlという数字が決まった経緯と、アメリカの町が販売を禁じた理由までをたどる。
ホテルの冷蔵庫、旅客機のカート、酒屋のレジ横。手のひらに収まる小さな瓶のウイスキーを、どこかで一度は見たことがあるはずだ。中身はたいてい50ml。シングルで1杯半あまりの量しか入っていない。
フルボトルを買うほうが割安なのは分かっている。それでもこの小瓶は、なぜ世界中の棚から消えないのか。この記事では、最初期のミニボトルとされる19世紀ダブリンの一本から、「50ml」という数字が決まった経緯、そして小ささが裏目に出てアメリカの町で売れなくなった話までをたどる。
1889年、ダブリンの蒸溜所が71mlの瓶を出した
商品としての「ミニボトル」の始まりとして、よく名前が挙がるのがアイリッシュウイスキーのパワーズだ。
ダブリンにあったジョン・パワー&サン社の蒸溜所は、1889年に71mlの小瓶を売り出した。この瓶はすぐに「ベイビー・パワーズ」と呼ばれるようになったという。当初はコルク栓で、客が普通サイズのコルク抜きでは開けにくかったため、やがて小さなコルク抜きを添えるようになった——という逸話も残っている。
なぜ小瓶を思いついたのか。蒸溜所の馬丁や御者が、寒さしのぎに小さなフラスクでウイスキーを持ち歩いていたことが着想の元になった、と言われている。ただしこれは推測として語られている話で、記録で裏づけられているわけではない。
もうひとつ断っておくと、「世界初の小さな酒瓶」というわけではない。それ以前にも、酒の営業マンが見本として持ち歩いた小瓶は存在したとされる。ベイビー・パワーズは「商品として売られた最初期のミニボトル」と受け取っておくのがよさそうだ。
パワーズは1886年から自社で瓶詰めを始めていて、蒸溜所で瓶詰めしたことを示したのが金色のラベルだった。現在の定番ゴールドラベルの名は、その流れを引いている。

50mlは、アメリカがメートル法に切り替えたときの数字
ちなみに71mlは、英国の1パイント(約568ml)のちょうど8分の1にあたる。瓶の大きさは長いあいだ、パイントやクォートといった昔の単位で決められていた。
では、ミニボトルの容量はなぜ50mlに揃ったのか。決め手のひとつは、アメリカの容量規格だ。
かつてのアメリカでは、蒸溜酒の瓶は「パイント」や「クォート」を基準にした大きさで造られていた。小瓶の規格は10分の1パイント(約47ml)。これが変わったのは1970年代で、当時の連邦当局(アルコール・タバコ・火器局)が業界団体と協力してメートル法の瓶の大きさを提案し、1979年1月から導入された。新旧の規格が両方使える1年ほどの移行期間を経て、小瓶は「50ml」に置き換わった。
いまの連邦規則(27 CFR 5.203)でも、蒸溜酒に認められた容量の一覧のうち最小が50mlだ。アメリカでは50ml未満の瓶はそもそも売れないので、ミニボトルといえば50mlになる。
ヨーロッパの線の引き方は、これと逆だ。EUの指令2007/45/ECは、蒸溜酒の容量を100mlから2,000mlの間で決められた刻みに揃えさせているが、100ml未満は対象にしていない。大きな瓶は規格で縛り、小さな瓶は自由に残したわけだ。フルボトルが700mlに揃った経緯はにまとめている。
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