なぜサントリーは「サントリー」という名前なのか——社名より30年以上早く、ウイスキーのラベルにあった「赤玉の太陽」と「鳥井」
「サントリー」は、もともと会社の名前ではなかった。1929年のウイスキー「白札」に始まる商品名で、寿屋が社名に掲げたのは1963年。「サン」は赤玉ポートワインの太陽、「トリー」は創業者の鳥井。広く語られる「鳥井さんの逆さ読み」説の扱いまで整理する。
「サントリー」と聞けば、多くの人は会社の名前を思い浮かべるはずだ。ビールも、缶コーヒーも、ペットボトルのお茶も、ラベルの片隅にはこの名前がある。
けれど、この名前はもともと会社の名前ではなかった。最初に「サントリー」を名乗ったのは、一本のウイスキーである。会社がその名前に追いつくまでには、30年以上かかっている。
この記事では、「サン」と「トリー」がそれぞれ何を指すのか、よく耳にする「鳥井さんを逆さに読んだ」説はどうなのか、そしてウイスキーの名前がなぜ社名にまでなったのかをたどる。
「サン」は、赤玉ポートワインの太陽
話は、ウイスキーより前に始まる。
創業者の鳥井信治郎が大阪で鳥井商店を開いたのは1899年。ぶどう酒の製造販売から出発した店だった。1907年、信治郎は甘味葡萄酒「赤玉ポートワイン」を売り出す。日本人好みの甘さと派手な宣伝で、これがたちまち大ヒットになった。サントリー自身、この赤玉を「サントリーの原点」と位置づけている。
「赤玉」という名は、太陽をイメージしたものとされる。赤い丸は日の丸とも重なる。この太陽が、のちの「サン(SUN)」になる。
赤玉の稼ぎは、もう一つの大きな賭けの元手になった。1923年、信治郎は大阪と京都の府境に近い山崎で、日本初のモルトウイスキー蒸溜所の建設に着手する。役員たちは猛反対したと、サントリーは社史で振り返っている。この賭けの経緯は鳥井信治郎がウイスキーに賭けた理由に詳しい。
1929年、名前はウイスキーのラベルに現れた
このころ、会社の名前は「サントリー」ではない。1921年に株式会社として設立されたときの社名は「寿屋(ことぶきや)」である。
その寿屋が1929年に発売したのが、日本初の本格ウイスキー「サントリーウイスキー白札」だった。サントリーの公式年表で「サントリー」の名がはじめて現れるのが、この白札である。

白札は、売れなかった。周囲の評は「こげくさい」。翌1930年には赤札を出したが、1931年には資金繰りに詰まり、仕込みを止めるところまで追い込まれている。それでも1937年には角瓶が出て、「サントリーウイスキー」の名を冠した商品は続いた。角瓶は大成功を収め、そこからサントリーウイスキーの躍進が始まる。白札はのちに「サントリーウイスキーホワイト」へと名を改め、いまも棚に並んでいる。

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