なぜイタリアで最も売れてきたシングルモルトは、5年しか寝ていない一本だったのか——1961年の輸入業者と、19世紀の精留器
イタリアのモルト市場で長く首位を守ってきたのは、5年熟成のグレングラントだった。1961年に蒸溜所を訪ねた一人の輸入業者と、19世紀から使われる精留器(ピュリファイアー)。若い酒が一国の定番になった理由をたどる。
イタリアで長くいちばん売れてきたシングルモルトは、マッカランでも山崎でもない。スペイサイドのローゼスという小さな町で造られる「グレングラント」である。しかも、その地位を築いたのは12年でも18年でもなく、5年しか樽で寝ていない一本だった。
スコッチの法定最低熟成年数は3年。とはいえ現実には、シングルモルトの入口は10年か12年に置かれるのが普通だ。若い酒は荒く、樽の甘みも乗りきらない——そう考えられてきた世界で、なぜ5年ものが一国の定番になれたのか。
1961年、ミラノの商人がスペイサイドの谷へ来た
きっかけは一人の輸入業者だった。ミラノのアルマンド・ジョヴィネッティは1961年にグレングラント蒸溜所を訪ね、若い原酒に惚れ込む。最初の注文はわずか100ケース。彼はそれを高級ホテルのバーから浸透させ、やがてテレビ広告を打って一気に広げていった。
彼が見抜いたのは、自国の客が「とても若く軽いモルト」を好むという一点だった。重厚な熟成香ではなく、細く澄んだ酒。その読みのもとに、若い原酒を主力に据えた。
賭けは当たる。1970年代半ばには、イタリアはスコッチの輸入国として世界第3位、ことモルトウイスキーに限れば世界一の市場になっていた。1979年のスコッチ輸入は4,000万本に達している。ジョヴィネッティはのちに同じ手法でマッカランの7年ものも売り込み、そちらも成功させた。
5年で通用する酒は、19世紀の装置が用意していた
ただし、売り方だけで5年ものは成立しない。中身が耐えられなければ話は終わる。グレングラントには、それを可能にする仕掛けが一世紀半前から備わっていた。
蒸溜所の創業は1840年。ジョンとジェームズのグラント兄弟が興したもので、二人はもともと密造にかかわっていたと伝えられる。転機は1872年、創業者の次の世代にあたる、同じくジェームズ・グラントという名の男——「ザ・メジャー(少佐)」と呼ばれた——が跡を継いでからだ。蒸溜所の公式史によれば、彼は規模を倍にし、背が高く細身のポットスチルと、**水冷式のピュリファイアー(精留器)**を導入した。
精留器は、スチルとコンデンサーのあいだに挟まれた小さな装置だ。下向きに伸びたラインアームを通ってきた蒸気は、まずここを抜ける。重く揮発しにくい成分はこの中で冷やされて液体に戻り、釜へ送り返される。先へ進めるのは軽い成分だけ、という関所の役割を果たす。
グレングラントは、ウォッシュスチルとスピリットスチルの両方にこれを備える珍しい蒸溜所として知られる。結果として生まれるのは、青リンゴや洋梨を思わせる、輪郭の細い澄んだ酒質だ。荒々しさが最初から少ないから、樽で長く磨かなくても形になる。
つまりイタリアの5年ものは、熟成をけちった妥協ではなかった。軽さを狙って設計された蒸溜と、若さを好む市場が、正面から噛み合った結果だった。

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