
Shizuoka (Gaiaflow)
静岡県静岡市に立つ、ガイアフロー株式会社の蒸溜所である。ウイスキーの輸入販売業を営んでいた中村大航が、2016年に開設し、同年10月から蒸留を開始した。中村は2012年にガイアフロー社を興し、再生可能エネルギー事業を展開する傍ら、20代からウイスキーを愛し、アイラ島・ジュラ島への旅で本場の造りに触れた。最大の特徴は、フォーサイス社製の初留器「W(ダブリュー)」による、世界のウイスキー蒸留所でも唯一という薪の直火加熱で、800℃という高温で蒸留する。発酵槽は大阪の藤井製桶所が手がけた木桶10基(オレゴンパイン4基、静岡杉6基)。8年の歳月をかけ、静岡県産大麦100%のウイスキーも実現した、日本クラフトウイスキーの意欲作だ。
静岡最大の特徴は、フォーサイス社製の初留器「W(ダブリュー)」による、世界の蒸留所でも唯一という薪の直火加熱だ。800℃という高温で蒸留するこの製法が、力強く複雑な原酒を生む。木製の発酵槽による長い発酵と相まって、フルーティで奥行きのある個性が形づくられる。伝統的な手法への徹底したこだわりが、この蒸溜所の哲学の核をなしている。
静岡蒸溜所は、ウイスキーの輸入販売業を営んでいたガイアフロー株式会社の中村大航によって、2016年に静岡県静岡市に開設された。中村は2012年にガイアフロー社を興し、再生可能エネルギー事業を展開する傍ら、20代からウイスキーを愛し、2012年6月にはスコットランドのアイラ島・ジュラ島を訪れ本場の造りに触れた。この経験が、自ら蒸溜所を持つという構想の原点となった。開設と同年の2016年10月から蒸留を開始し、以来8年をかけて100%静岡産大麦のウイスキーを完成させた。
蒸溜所は静岡県静岡市に立つ。発酵槽(ウォッシュバック)には、大阪の藤井製桶所が手がけた木桶10基(オレゴンパイン製4基、静岡産杉製6基)を用い、容量はすべて8000リットル。日本酒の木桶造りに造詣の深い職人の技術が、この蒸溜所の設備に生かされている。地元静岡の水と大麦を生かした「グレーン・トゥ・ボトル」の造りを追求している。
定番の「静岡ポットスチルK&S」を核に、100%静岡産大麦を用いた限定リリースなどを展開する。8年の歳月を経て実現した「グレーン・トゥ・ボトル」のウイスキーは、地元の風土をそのまま瓶に映す。薪直火という唯一無二の製法と、地元産大麦へのこだわりで注目を集める、静岡発のクラフト蒸溜所である。


Shizuoka Pot Still K 100% Imported Barley First Edition
🇯🇵 日本 ・ ガイアフロー静岡蒸溜所 ・ シングルモルト ・ NAS ・ 55.5%
Shizuoka Pot Still W 5 Year Old 100% Imported Barley 2026 Edition
🇯🇵 日本 ・ ガイアフロー静岡蒸溜所 ・ シングルモルト ・ 5年 ・ 50.5%
Shizuoka Pot Still W 100% Japanese Barley 2025 Edition Barrel 5 Year Old
🇯🇵 日本 ・ ガイアフロー静岡蒸溜所 ・ シングルモルト ・ 5年 ・ 55.5%


日本のクラフト蒸溜所では、樽ごとウイスキーを買える。静岡蒸溜所の公表数値で申込金・酒税・ボトリング費用まで積み上げ、1本いくらになるかを試算。あわせて、規制の外にある海外の「樽投資」との違いと、買う前に確かめる三点を整理する。

釜の下で薪が燃える、蒸溜所自身が「他に類を見ない」と呼ぶポットスチル。静岡蒸溜所が薪を選んだ理由と、隣に立つもう一基——閉鎖された軽井沢蒸溜所の部品から組み直された釜の来歴をたどる。

「スチルを作り替えるときは、へこみの一つひとつまで写す」——よく語られるこの話を、スチルを造っている当人はどう見ているのか。銅が半分に痩せる日と、変数を一つも動かさないという選択の話。

もらったまま棚に眠る一本。フリマに出せば売れるが、違法なのか。酒税法が「販売業」を分ける基準は本数ではなく「継続」だった。免許が要らない範囲と、いま通信販売の免許を取っても大手の定番銘柄を全国に売れない理由を整理する。

蒸溜所の工程の入口には、とうに消えた会社の名を刻んだ鋳鉄の箱がある。ポーティアスとボビー。「良すぎて自分の商売を終わらせた」と語られる二社の実際と、軽井沢から静岡へ渡った一台の話。

スチルハウスや熟成庫で撮影が止められるのはなぜか。エタノールの引火点12℃、樽二本で届く消防法の線、点火源を13通りに数える欧州規格、そして「携帯電話で引火」という神話の実際までを辿る。

スコッチの条文は糖化も蒸留も熟成もスコットランドと厳しく縛る一方、原料の大麦がどこで採れたかには一言も触れていない。日本の基準が産地を書き込んだのは「水」だけ。その空白に、自分から縛りを増やす造り手がいる。

この蒸留所が属する地域
1923年、鳥井信治郎が山崎蒸溜所を開設したのが日本ウイスキーの始まり。技師として招かれた竹鶴政孝は後にニッカウヰスキーを設立し余市蒸溜所を開いた。スコッチの製法を土台にしながらも、繊細な水質と四季の寒暖差を生かした独自のスタイルを確立し、2000年代以降は国際コンペティションでの受賞を機に世界的な評価を得ている。
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