ウイスキーをデキャンタに移すと美味しくなるのか——答えはノー。それでも350年生き延びた器と、鉛が溶け出すという盲点
重厚なデキャンタに移せば、ウイスキーは良くなるのか。答えはノーだ。それでも350年あまり生き延びてきたデキャンタの役割と、鉛クリスタルに入れっぱなしにしたときのリスク、そして器が主役になる場面を整理する。
贈り物でもらった重たいガラスの器。あるいは映画で、重役が机の脇から取り出すあの器。ウイスキーをデキャンタに移すと、何かが良くなるのだろうか。
先に結論を書いておく。美味しくはならない。 移し替えで失うものがいくつかあり、器によっては健康上の注意まで付いてくる。それでもこの器は、350年あまり生き延びてきた。理由は「味」以外のところにある。
ワインの「デキャンタージュ」とは、目的がまるで違う
ワインをデキャンタに移すのには、はっきりした目的がある。瓶底の澱を注ぎ分けること、そして空気に触れさせて香りを開かせることだ。
ウイスキーには、そのどちらもあまり当てはまらない。まず、ワインのような澱は基本的に出ない(ノンチルフィルタードの一本が冷えて白く濁ったり、古い瓶にコルクの欠片が落ちることはあるが、注ぎ分けが要る話ではない)。そして、瓶に詰められた時点でウイスキーの熟成は止まっている。木と接していない以上、瓶の中で新しい香味が育つことはない(なぜウイスキーは瓶に詰めた瞬間に熟成が止まるのか)。
グラスに注いで数分置くと香りが開く、という現象はたしかにある(なぜグラスの形で香りが変わるのか)。ただしそれは注いだグラスの中の話で、デキャンタに移して数日置くこととは別物だ。長く空気に触れさせれば、香りは開くというより痩せていく(開封後のウイスキーはなぜ変わるのか)。
デキャンタは「美しく供するための器」として生まれた
では、なぜこの器が存在するのか。歴史をたどると答えははっきりしている。中身のためではなく、出し方のための器だったのだ。
英国のクリスタルガラスは、17世紀後半のジョージ・ラヴェンスクロフトに始まる。彼は1674年にガラスの特許を取り、その工房はゴブレットや皿とともにデキャンタを作って売っていた(特許を取った時点の組成に鉛が入っていたかどうかは、研究者のあいだで議論がある)。当時の酒は樽や大瓶から量り分けられるもので、そのまま食卓に出せる姿をしていなかった。だからいったん、美しい器に移したのである。
面白いのは、その半世紀あまりのちに「名札」が生まれていることだ。デキャンタの首に下げる小さな銀の札——ボトルチケットと呼ばれるものが、1730年代半ばには作られはじめる。1730年代後半のロンドンの金細工師の帳簿には、「6枚のボトルチケット」を納めた記録が残っている。
つまり18世紀の人々も、やがて思い知ったわけだ。この器に移すと、中身が分からなくなるということに。
移した瞬間に失うもの
現代の私たちが失うものは、当時よりむしろ多い。
一つめは情報。 度数、熟成年数、蒸溜所名、バッチ。ラベルの手がかりは、移し替えた瞬間に消える(ウイスキーのラベルの読み方)。
二つめは密閉。 ガラス栓の密着具合は個体差が大きく、元の瓶のスクリューキャップやコルクほど確実ではないことが多い。隙間があれば、アルコールは水より速く抜け、香りも逃げていく。保存という一点では、元の瓶に勝る容器はそう多くない(ウイスキーの保存方法)。
三つめは後戻りできないこと。 残り少ない二本をまとめて注いだ日には、もう誰にも再現できない。
そもそも、移す必要のない瓶もある。24面のカットが入った響のように、瓶そのものが意匠として完成しているものだ。

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