なぜシーバスリーガルは「世界初の高級ウイスキー」を名乗れるのか——アバディーンの食料品店と、王室が認めた一族
世界でも指折りに売れながら「格上」の顔を保つシーバスリーガル。アバディーンの食料品店から王室御用達へ、そして1909年にニューヨークを魅了した25年ものへ。「世界初の高級ブレンド」を名乗る理由をたどる。
バーの棚でも、デパートの贈答コーナーでも、シーバスリーガルの青と金のラベルはどこか「格上」の顔をしている。世界でも有数の売れ行きを誇るスコッチでありながら、安売りの棚には並ばない——この独特の立ち位置は、偶然できたものではない。シーバスは自らを「世界初のラグジュアリーウイスキー」と名乗る。なぜそう言えるのか。この記事では、アバディーンの一軒の食料品店から王室御用達へ、そして1909年にニューヨークを魅了した一杯へと続く物語をたどりながら、シーバスが「高級ブレンデッド」の代名詞になった理由を読み解く。
アバディーンの食料品店から始まった
物語の始まりは、19世紀初頭のスコットランド北東部の街アバディーンにあった高級食料品・ワイン商にさかのぼる。ここを切り盛りしたのがジェームズ・チーバスで、のちに弟ジョンも加わり、店は「チーバス・ブラザーズ(チーバス兄弟)」の名で知られるようになる。
彼らが扱ったのは紅茶やコーヒー、スパイス、そして各地から仕入れたワインやスピリッツ。上流階級の顧客の好みに合わせて商品を調える——この「目利きと配合」の商才が、のちのブレンド技術の土台になった。
転機は1843年。ヴィクトリア女王からロイヤルワラント(王室御用達)を授かる。のちに女王がスコットランドの離宮バルモラルへ通うようになると、その王室にも品を納める店となった。当時、上流階級は王室が選ぶものを迷わず選んだ。「王室が認めた店」という看板は、そのままブランドの信用になった。
「ブレンド」が解禁された時代
シーバスが飛躍する背景には、法律の変化があった。1860年のスピリッツ法によって、それまで難しかった「異なる蒸留所のモルトとグレーンを、税を課される前の段階で混ぜ合わせる」ことが認められたのだ。
これは大きい。荒々しいシングルモルトだけでなく、軽やかなグレーンウイスキーを組み合わせることで、飲みやすく、味の揺れない一杯を安定して造れるようになった。チーバス・ブラザーズはこの新しい技術にいち早く取り組み、複数のブランドを世に送り出す。今日のブレンデッドウイスキーを形づくった、マスターブレンダーという職人の仕事は、まさにこの時代に育っていった。
1909年、ニューヨークを魅了した25年もの
そして1909年。チーバス・ブラザーズのマスターブレンダー、チャールズ・ハワードの手で、当時としては破格の「25年熟成」を掲げたブレンデッドが生まれる。これがシーバスリーガル——「Regal(王の、堂々たる)」の名を冠した一本だった。
長期熟成の原酒そのものが稀だった時代に、あえて年数を掲げ、熟成を重ねた原酒だけで組み上げる。この一杯は発売と同時に大西洋を渡り、ニューヨークの社交界を虜にした。高級輸入品として「持っていること自体がステータス」になったのである。シーバスが「世界初のラグジュアリーウイスキー」を名乗るのは、この、熟成年数を前面に押し出した高級ブレンドの先駆けだったことに由来する。
二つの大戦と禁酒法を越えて
もっとも、その船出は平坦ではなかった。第一次世界大戦と、1920年に始まったアメリカの禁酒法によって、最大の市場だったアメリカへの道は絶たれ、初代の25年ものはいったん姿を消す。
ブランドが本格的に復活するのは1930年代の終わり。禁酒法明けのアメリカ市場に、より手に取りやすいシーバスリーガル12年が投入され、これが定番として定着した。戦後は世界中に広がり、1997年には18年、2007年には往年の25年ものが再び加わって、レンジは今の形へと厚みを増していく。

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