なぜホワイトホースは、スーパーの定番でありながらアイラの「心臓」を持つのか——白い馬の名と、コルクを捨てた1926年
スーパーで1000円台で買える定番ブレンデッド、ホワイトホース。その心臓部には個性派アイラモルトのラガヴーリンが据わり、1926年のスクリューキャップ採用が業界を変えた。白い馬の名に隠された物語を読み解く。
家飲みのハイボールを作ろうとスーパーの棚を眺めると、1000円台の一角に、白い馬のラベルが必ずと言っていいほど並んでいる。ホワイトホース——気軽に手が伸びる「普段使い」のブレンデッドスコッチだ。だが、この気取らない一本の心臓部には、スコッチのなかでも屈指の個性派アイラモルトが据えられ、その歴史にはウイスキーの売り方を変えた一つの発明が刻まれている。なぜホワイトホースは、安さと本格さをこうも同居させられたのか。
名前は、エディンバラの古い宿屋から
ブランド名の由来は、スコットランドの首都エディンバラにあった「ホワイトホース・セラー」という宿屋(コーチング・イン=駅馬車の宿)だとされる。旧市街カノンゲートに実在した馬車宿で、創業者ピーター・マッキーの一族はこの地に縁があり、自らのブレンドにその名を冠したと伝えられる。白い馬のシンボルには、旅人が馬を乗り換えた駅馬車時代の空気がそのまま宿っている。
マッキーがこのブレンドを「ホワイトホース」として商標登録したのは1891年。まだスコッチが「単一の蒸留所の酒」ではなく「ブレンダーの技」で世界へ広がっていく時代の、その先頭集団にいた一本だった。
心臓はアイラにある——ラガヴーリンと「レストレス・ピーター」
ホワイトホースを語るうえで外せないのが、キーモルトのラガヴーリンだ。創業者ピーター・マッキー(1855〜1924)は若い頃、叔父ジェームズ・ローガン・マッキーが率いる商会を通じて、アイラ島のラガヴーリン蒸留所で蒸留の実務を学んだ。だからこそ、彼のブレンドは潮とピートの効いたラガヴーリンを核に据えている。安価な普段使いの一本でありながら、奥にほのかな煙とオイリーなコクがのぞくのは、この出自ゆえだ。
マッキーは猛烈な働き者で、同時代の人々から「レストレス・ピーター(休まぬピーター)」と呼ばれた。後年、外交官ロバート・ブルース=ロッカートは彼を「三分の一は天才、三分の一は誇大妄想狂、三分の一は変人」と評している。この強烈な個性の男は、スペイサイドのクライゲラヒ蒸留所の設立(1890〜91年)にも出資者として名を連ねた。ホワイトホースの背後には、アイラとスペイサイド、二つの土地の蒸留所が結びついている。

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