なぜチャーチルは、朝から晩までウイスキーを手放さなかったのか——娘が「パパ・カクテル」と呼んだ、指ぬき1杯の水割り
一日中グラスを手にしていたチャーチル。だが娘が「パパ・カクテル」と呼んだ中身は、タンブラーの底に指ぬき1杯のスコッチを垂らして水で満たした、うがい薬のような一杯だった。ぬるい水から始まった付き合いと、銘柄・逸話をたどる。
ウィンストン・チャーチルといえば、葉巻とウイスキーのグラスを手放さない姿がよく知られている。朝から晩まで飲んでいた、という話も有名だ。そのため「大酒飲みの宰相」という印象を持つ人は多い。
ところが、そのグラスの中身を記録でたどると、印象はかなり変わる。娘が「パパ・カクテル」と呼んだその一杯は、驚くほど薄い水割りだった。
この記事では、チャーチルがウイスキーを好きになったきっかけ、一日中手元にあったグラスの正体、愛飲した銘柄、そして「なぜそんな飲み方をしていたのか」を順に見ていく。
はじめは、ウイスキーが嫌いだった
意外なことに、若いころのチャーチルはウイスキーの味を嫌っていた。
転機は1897年、インド北西辺境(現在のパキスタン北西部)での従軍だった。自伝『わが半生(My Early Life)』によれば、マラカンド野戦軍に加わったとき、茶のほかに飲めるものは「ぬるい水」「ライムジュースを入れたぬるい水」「ウイスキーを入れたぬるい水」くらいしかなかった。水はそのままでは飲みにくい。そこでウイスキーを足すしかなかった。
彼は、その5日間が終わるころにはウイスキーへの嫌悪をすっかり克服した、と書いている。好きで選んだ酒ではなく、ぬるい水を飲めるようにするための一滴だった。この始まり方が、のちの飲み方にもそのまま残っていく。
「パパ・カクテル」の中身
年を重ねたチャーチルの手元には、たいていウイスキーのグラスが置かれていた。ただし、その中身は濃くない。
チャーチル研究者のリチャード・ラングワースは、娘のメアリーから作り方を教わっている。タンブラーの底を指ぬき1杯ほどのスコッチで覆い、あとは水で満たす。氷は入れない。これが「パパ・カクテル」だ。実際に飲んだラングワースは「ひどくまずい」と書き、メアリーもそれに同意したという。
秘書のジョック・コルヴィルは、この一杯を「スコッチ風味のうがい薬」と評した。国際チャーチル協会の解説も、これは「スコッチの水割り」と呼べるかどうかも怪しい薄さだったとしている。
チャーチルはこれを何時間もかけて、ときどき口に運んだ。グラスがいつも肘のそばにあったので、外から見ると飲み続けているように見えた。しかし実際の量は、見た目よりずっと少なかったわけだ。
なお、割り材が水だったのかソーダだったのかは、資料によって違う。メアリーとコルヴィルの証言は水だ。一方、サザビーズは朝からソーダで割って飲んでいたと説明しており、ほかにも濃いめのスコッチ・アンド・ソーダを飲んだという記述がある。時期や場面によって両方あったのかもしれないが、確かなことは言えない。
銘柄はジョニーウォーカー
チャーチルの日常の一本としてよく挙げられるのは、ジョニーウォーカーのレッドラベルだ。ヒルズデール大学のチャーチル・プロジェクトも、多くの伝記作家がレッドラベルを挙げており、ときにはブラックラベルも飲んだと説明している。

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