なぜ日本人はウイスキーを「水割り」で飲むのか——世界では珍しい“薄めて飲む”習慣が根づいたわけ
「ウイスキーを水で割る」水割りは、じつは世界的に見ると日本的な飲み方。焼酎を割ってきた下地と、1970年代の「和食にウイスキー」というサントリーの一手、卓上で自分好みに仕上げる流儀から、なぜこの習慣が根づいたのかをたどる。
「ウイスキーを水で割る」と言うと、スコットランドやアメリカのバーでは少し不思議な顔をされることがある。彼らにとってウイスキーはストレートかロック、あるいはハイボール。ところが日本では、氷とミネラルウォーターを卓上に置き、好みの濃さに割って食事と一緒に楽しむ——そんな「水割り」が、当たり前の一杯として親しまれてきた。じつは世界的に見ると、これはかなり日本的な飲み方だ。ではなぜ、日本ではこの飲み方がこれほど定着したのだろうか。
「薄めて飲む」こと自体は日本の発明ではない
まず押さえておきたいのは、酒を水で割る行為そのものは日本独自ではない、ということだ。古代ギリシャ・ローマではワインを水で割って飲むのがむしろ常識で、原液のまま飲むのは「野蛮」とすら見なされた。18世紀のイギリス海軍はラム酒を水で割って配給し、これは提督の名にちなんで「グロッグ」と呼ばれた。
つまり「薄めて飲む」文化は各地にあった。日本の水割りが独特なのは、割り方そのものではなく、それが“食中酒”として、家庭や居酒屋の日常に根を張った点にある。
日本には「割って飲む」下地があった
日本人にとって、蒸留酒を水やお湯で割るのは古くからなじみのある作法だった。焼酎は昔から水割り・お湯割りで飲まれ、鹿児島には焼酎と水を前もって混ぜて数日寝かせる「前割り」という流儀まである。江戸時代には日本酒を水で薄めて飲むことも珍しくなかったと言われる。度数の高い酒をそのまま飲むより、加水してまろやかにするという発想が、もともと生活のなかにあったわけだ。
だからウイスキーが広まったとき、それを「割って飲む」ことに、日本人はさほど抵抗がなかった。
転機は1970年代——「和食にウイスキー」という一手
ウイスキーの水割りが一気に広まったのは1970年代のことだ。それ以前の日本では、ウイスキーはストレートかハイボール(ソーダ割り)で飲まれるのが一般的だった。
流れを変えたのがサントリーである。同社は、割烹の主人が店じまいの後にカウンターでグラスを傾ける新聞広告を打ち、湯豆腐を肴にウイスキーを楽しむスタイルブック『懐石サントリー』を出すなど、「和食にウイスキー」というキャンペーンを展開した。その主役となったのがサントリーオールドだ。1970年代前半に年間100万ケース前後だったオールドの売り上げは、1980年には1000万ケースを超えるまでになった。
なぜ水割りは日本の食卓に「はまった」のか
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