なぜカティサークは「禁酒法のアメリカ」で愛されたのか——密輸船が運んだ黄色いラベルと「リアル・マッコイ」伝説
印刷ミスで生まれた黄色いラベル、密輸船長ビル・マッコイ、そして「リアル・マッコイ」の伝説。手頃な定番ブレンデッド・カティサークが禁酒法下のアメリカで名を上げた数奇な航海をたどる。
スーパーの棚で、ひときわ目を引く黄色いラベルのスコッチ——カティサーク。手頃な価格の定番ブレンデッドとして知られるこの一本は、じつは「酒を売ることが犯罪だった国」で名を上げるという、ウイスキー史上もっとも背徳的なデビューを飾った銘柄です。なぜ生まれたばかりのスコッチが、禁酒法下のアメリカで愛されたのか。黄色いラベルの誕生秘話とともに、その数奇な航海をたどります。
ロンドンの昼食会で生まれた「淡い」スコッチ
カティサークが構想されたのは1923年3月23日、ロンドン・セントジェームズ街3番地。1698年創業の老舗ワイン商ベリー・ブラザーズ&ラッド(BBR)の店内でした。共同経営者のフランシス・ベリーとヒュー・ラッドが、スコットランド出身の画家ジェームズ・マクベイを招いた昼食の席で、話題はウイスキーに及びます。
当時のブレンデッドスコッチは色が濃く、重厚な味わいが主流でした。そこで3人が思い描いたのは、その正反対——軽やかな味わいで、着色を極力抑えた淡い色のブレンデッドです。上質なコニャックに親しんだ顧客たちは「淡い色」を品質の証と捉えており、狙う市場は海の向こうのアメリカ。ただし皮肉なことに、当のアメリカは1920年から禁酒法の真っ只中にありました。
印刷所のミスが生んだ、世界一有名な黄色
名前を提案したのはマクベイでした。1869年にスコットランドで建造され「世界最速」とうたわれた快速帆船、カティサーク号。船名の由来は、詩人ロバート・バーンズの「タム・オ・シャンター」に登場する魔女がまとう「短い肌着(カティ・サーク)」というスコットランド語です。マクベイはその場でラベルの図案まで描き上げ、綴りもあえてスコットランド語風の「Scots Whisky」としました。
ラベルの背景は本来、古びた風合いのクリーム色になるはずでした。ところが印刷所が刷り上げた紙は、指示とは違う鮮やかな黄色。普通なら刷り直しを命じるところを、経営陣はこの「ミス」を面白がり、そのまま採用してしまいます。以来100年、あの黄色は世界で最も見分けやすいラベルの一つであり続けています。
密輸船長が運んだ「本物」
禁酒法下のアメリカに、BBRが直接酒を売ることはできません。そこでカティサークは、まず英領バハマへ合法的に輸出されました。そこから先を担ったのが——ブランドの伝承によれば——伝説の密輸船長ウィリアム(ビル)・マッコイです。彼のスクーナー船はニューヨーク・ニュージャージー沖の公海上、通称「ラム・ロウ」に錨を下ろし、洋上でカティサークを売りさばきました。高速艇で買い付けに来る密売人たちの手を経て、黄色いラベルはアメリカ本土へ渡っていったのです。
マッコイは、水増しや混ぜ物をせず「本物」だけを扱うことで知られていました。ここから「正真正銘の本物」を意味する英語表現「リアル・マッコイ」が生まれた——というのがブランドに語り継がれる伝説です。もっとも言葉の由来には諸説あり、1856年のスコットランドで「the real Mackay」という表現がすでに使われていた記録が残るため、マッコイ船長起源説は後づけの可能性が高いとされています。それでも「本物しか運ばない密輸船長」の物語が、この酒の評判を大きく押し上げたことは確かでしょう。

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