なぜグレンロセスは「12年」ではなく「1979」と書いて売ったのか——ワイン商が育てたヴィンテージと、蒸溜所に戻って選び直した年数表記
スペイサイドのグレンロセスは、四半世紀にわたり熟成年数ではなく蒸溜年でボトルを売っていた。ロンドンのワイン商BBRが持ち込んだ「熟成のピークで詰める」という発想と、2018年に年数表記へ切り替えた理由を、ブランドの持ち主の移り変わりからたどる。
グレンロセスの古いボトルを手に取ると、少し戸惑う。ラベルの真ん中にあるのは「12年」でも「18年」でもない。「1979」「1985」のような、ひとつの年号だ。
スコッチの棚では、熟成年数で並べるのが普通だ。それなのに、スペイサイドのこの蒸溜所は、四半世紀にわたってワインのように「ヴィンテージ」でウイスキーを売っていた。そして2018年、その看板をあっさり降ろしている。
この記事では、なぜグレンロセスは年号で売ったのか、なぜやめたのかを、ブランドの持ち主の移り変わりからたどる。
ブランドを育てたのは、ロンドンのワイン商だった
グレンロセス蒸溜所は、スペイサイドのローセスの町で1879年12月28日に最初の蒸溜を行った。1887年からはハイランド・ディスティラーズの傘下に入り、同社はのちにエドリントンの一部となった。
ただし、ブランドの顔をつくったのは蒸溜所の持ち主ではない。ロンドンの老舗ワイン商、ベリー・ブラザーズ&ラッド(BBR)だ。
BBRは1923年に、自社のブレンデッド「カティサーク」を生んでいる。その中核を担ってきたのがグレンロセスの原酒だとされる(→なぜカティサークは「禁酒法のアメリカ」で愛されたのか)。長年の取引先の原酒を、今度はシングルモルトとして売ろう——そう考えたのが、BBRの副会長だったクリストファー・ベリー・グリーンで、1982年に話を持ちかけたと伝えられる。

1993年、「1979」と書いたボトルが出る
最初は普通の年数表記だった。ブランド史によると、1987年に12年ものを出したが、出足はよくなかったという。
そこで1993年に出したのが、**「ヴィンテージ1979」**である。1979年という単一の年に蒸溜した原酒だけを瓶に詰め、ラベルにはその年号を大きく掲げた。その年の生産量の約2%にあたる樽から選んだ、とブランド史は伝えている。
なぜ年号だったのか。ここには、ワイン商ならではの考え方がある。BBRはグレンロセスを「あらかじめ決めた年数で詰めるのではなく、熟成のピークで詰める」酒だと説明してきた。何年寝かせたかより、樽がいちばん良い状態にあるときに出す。だから看板は年数ではなく、生まれ年になる。ボルドーのワインを年ごとに扱ってきた商人には、自然な発想だったのだろう。
ちなみに、スコッチの規則では蒸溜年を書くなら瓶詰め年も併記しなければならない。グレンロセスのラベルにも二つの年号が並んでいた(→ラベルの「1998」は、何年ものなのか)。
2010年、ブランドと蒸溜所が別々の持ち主に
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