なぜラフロイグは「正露丸」と言われながら英国王室御用達なのか——禁酒法をすり抜けた"薬品臭"と、タイピストから蒸溜所主になった女性
「正露丸」と評されるほど個性的なラフロイグが、なぜ英国王室御用達なのか。禁酒法を"薬"として生き延びた逸話、タイピストから蒸溜所主になった女性、チャールズ皇太子の飛行機事故——愛される理由を物語でたどる。
「正露丸」「消毒液」「病院の匂い」——ウイスキーの感想でこれほど散々な言われ方をする銘柄は、そう多くありません。アイラ島のシングルモルト、ラフロイグ。ところがこの"問題児"は、世界中に熱狂的な信者を抱え、英国王室御用達の栄誉まで手にしています。
なぜ、これほど嫌われかねない個性が、200年以上も愛され続けているのか。この記事では、禁酒法時代のアメリカ、ひとりの女性タイピスト、そして滑走路をオーバーランした皇太子の飛行機——ラフロイグの歩みを物語でたどります。
「薬品臭さ」が命綱になった禁酒法時代
ラフロイグは1815年、ジョンストン兄弟(ドナルドとアレクサンダー)がアイラ島南岸に創業した蒸溜所です。名前はゲール語で「広い湾のそばの美しい窪地」を意味するとされます。その味を特徴づけるのが、薬品を思わせるヨードのような香り。アイラ島のピート(泥炭)と海辺の環境が生む個性です(詳しくはアイラ島のピートはなぜ薬品っぽいのかで解説しています)。
この「薬品臭さ」が、思わぬ形でブランドを救います。1920年からのアメリカ禁酒法時代、当時経営を率いていたイアン・ハンターは、医療用アルコールを認める法の抜け穴に目をつけました。ラフロイグの強烈な香りは「ヨード分が多い医薬品である」証拠だと税関を納得させ、処方箋付きの"薬"として薬局経由で合法的に販売した——という逸話が語り継がれています。真偽の細部はブランドの伝説めいていますが、禁酒法下のアメリカで薬局がウイスキーの受け皿になったこと自体は史実です(なぜ禁酒法時代のアメリカでウイスキーは「薬局」で売られていたのか)。
多くのスコッチが市場を失うなか、「嫌われるほどの個性」がそのまま通行手形になった——ラフロイグというブランドの原点です。
タイピストから蒸溜所主へ——ベッシー・ウィリアムソン
1934年、グラスゴー大学を卒業したベッシー・ウィリアムソンという女性が、夏季限定のタイピスト職に応募してアイラ島へ渡ります。彼女はやがてハンターの秘書となり、ハンターが世界中へ販路開拓に飛び回る間、蒸溜所の実務を取り仕切るようになりました。
1954年、ハンターの死去にともない、遺言によって蒸溜所はベッシーに遺贈されます。20世紀のスコッチ業界で、蒸溜所を自ら所有し経営した女性は彼女だけだったと言われています。彼女はハンターが取り入れたバーボン樽熟成を定着させ、1972年に引退するまでラフロイグを支えました。
王室御用達と、滑走路をオーバーランした皇太子の飛行機
1994年、ラフロイグはチャールズ皇太子(現・チャールズ3世)からロイヤルワラント(王室御用達認定)を授与されました。皇太子(当時)のロイヤルワラントを持つ唯一のスコッチウイスキーとされ、皇太子は15年をとりわけ好むと言われています。
その同じ年の6月、皇太子を乗せた英空軍機が、アイラ島の空港で滑走路をオーバーランする事故を起こします。操縦桿を握っていたのは皇太子自身。目的地は、ラフロイグ蒸溜所でした。幸いけが人はなく、機体が損傷して帰れなくなったことで、予定20分の訪問は2時間半の滞在になったと伝えられています。
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