なぜオールドグランダッドのラベルには「おじいさん」が描かれているのか——孫が祖父に捧げた名前と、同じ男を名乗るもう一本のバーボン
バーボン「オールドグランダッド」のラベルの老紳士は、創業者の祖父ベイジル・ヘイデン・シニア。記録の薄い開拓者が、なぜ140年以上ブランドの顔であり続け、1992年には同じレシピの「ベイジル・ヘイデン」まで生んだのかをたどる。
ボトルのラベルの真ん中で、白髪の老紳士がこちらを見ている。オールドグランダッド——英語で「おじいさん」を意味する名前のバーボンだ。
この老紳士は誰なのか。なぜ酒の名前が「おじいさん」なのか。そして同じ人物の名前を冠したバーボンが、なぜもう一本あるのか。この記事では、ラベルの肖像の主と、その名前が二つのブランドに受け継がれるまでをたどる。
ラベルの老紳士は、孫から見た「おじいさん」
ブランドを立ち上げたのは、ケンタッキーの蒸溜家レイモンド・B・ヘイデンだ。多くの資料は、その年を1882年としている。彼は自分の酒に、祖父ベイジル・ヘイデン・シニアの名誉をたたえる名前を付けた。それが「オールドグランダッド」である。
つまり、ラベルの老紳士は、作り手の祖父だ。名前は、孫の目から見た呼び名になっている。
ただし、この肖像が本人の姿をどこまで写しているかは分からない。英語版Wikipediaは、これを「空想上の(fanciful)肖像」と書いている。顔立ちも時代によって変わり、厳しい表情の時期もあれば、柔和な表情の今の姿に近い時期もあった。描かれているのは、本人の顔を写したものというより、「バーボンの祖父」という役割を背負った顔だと考えたほうがよさそうだ。

ベイジル・ヘイデン・シニアは、何をした人なのか
記録に比較的はっきり残っているのは、蒸溜家としてより、開拓者としての顔だ。
ヘイデン・シニアは、メリーランドのカトリック教徒だった。1785年、25家族ほどのカトリック信徒を率いてケンタッキーへ移り、当時のネルソン郡、ポッティンジャーズ・クリーク周辺に入植したとされる。ケンタッキー最初のカトリック教会とされるホーリークロス教会の土地を提供したとも伝えられている。
一方で、酒造りの記録は薄い。ブランド側の物語では、1790年代に、トウモロコシ主体のマッシュに多めのライ麦を加えた、とされる。ただし年は1792年とも1796年とも言われ、裏付けになる一次資料は見当たらない。1884年に刊行されたケンタッキーのカトリック史でさえ、彼について「今ではほとんど知られていない」と書いているほどだ。
人物像の多くは、のちのブランドが語り継いできた物語の上にある。そう読んでおくのが誠実だろう。
「ライ麦を多めに」という家の味
それでも、ブランドが語り継ぐ「ライ麦多め」という特徴は、今の製品の設計にもはっきり表れている。
バーボンは原料の51%以上をトウモロコシにすることが法律で決まっている。残りに何をどれだけ混ぜるかは、造り手に任される。オールドグランダッドは、ここでライ麦を多めに使う「ハイライ」と呼ばれるタイプだ。
正確な配合は公表されていない。米国の酒類メディアVinePairは、ライ麦を27%としている。ライ麦はスパイシーな刺激やドライな切れを生みやすい原料で、トウモロコシの甘さを引き締める役回りになる(→なぜバーボンは甘いのか)。
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