なぜノブクリークは「禁酒法以前のバーボン」を名乗るのか——リンカーンが育った小川の名と、一度消えて戻った「9年」
1992年、ブッカー・ノーが世に出したノブクリーク。禁酒法明けの「若いバーボン」への反論として100プルーフ・9年熟成を掲げ、在庫難で外した年数表記を2020年に取り戻した。名前の由来と看板の数字の物語をたどる。
四角いボトルに、封蝋で覆われた口。ラベルには熟成9年と「100 PROOF」の文字。ノブクリークは、ジムビームと同じ蒸溜所で造られながら、まったく別の顔をしたバーボンだ。
このブランドは、自分たちの酒を「禁酒法以前のスタイル」と呼んでいる。禁酒法が終わってから60年近くたった1992年に生まれた酒が、なぜわざわざ「以前」を名乗るのか。そして、なぜ一度ラベルから消えた「9年」の数字を、わざわざ取り戻したのか。この記事では、名前の由来から、看板の数字が消えて戻るまでをたどる。
禁酒法のあと、バーボンは「若い酒」になった
アメリカの禁酒法は1920年に始まり、1933年に廃止された。13年のあいだ、まっとうな蒸溜所の多くは操業を止め、熟成庫の樽も減っていった。
廃止されると、酒への需要は一気に戻ってくる。だが、何年も寝かせた原酒はすぐには用意できない。ノブクリークの公式の物語は、この時代をこう描く。造り手たちは熟成を急ぎ、若くて穏やかなウイスキーが当たり前になり、濃い味わいは「犠牲になった」と。
1992年のノブクリークは、この流れへの反論として打ち出された。ここでいう「禁酒法以前」は、特定の年のレシピを再現したという意味ではない。じっくり寝かせ、強い度数で瓶に詰める——そういう造りの姿勢を指す言葉だと受け取っておくのがいい。
お手本は、1897年の法律
ブランドが「着想の源」として挙げるのが、1897年にアメリカで成立したボトルド・イン・ボンド法だ。同じ蒸溜所で同じ蒸留シーズンに造った酒を、政府の監督する保税倉庫で4年以上熟成させ、100プルーフ(50度)で瓶詰めする。粗悪な混ぜ物が出回っていた時代に、「本物」を保証するために作られた仕組みである。
ノブクリークはボトルド・イン・ボンドを名乗る商品ではない。それでも、この法律が基準にした100プルーフという数字を看板に据えた。公式の説明によれば、蒸留後の度数を低めに抑え、125プルーフ(62.5度)で樽に詰め、9年以上寝かせてから100プルーフで瓶に詰めるという。度数を高く保つのは、薄めすぎずに味の厚みを残すためだ。
名前は、リンカーンの「いちばん古い記憶」
「ノブクリーク」はケンタッキー州を流れる小川の名前で、その流域にあった農場が、幼少期のエイブラハム・リンカーンの住まいだった。
アメリカ国立公園局によれば、リンカーン一家がこの農場に移ってきたのは1811年。土地の一部を借りて暮らし、1816年に土地の権利をめぐる争いがもとでインディアナへ移っていった。のちにリンカーンは1860年の手紙で、自分のいちばん古い記憶は「ノブクリークの家」だと書いている。
ブランドはさらに、父トマス・リンカーンが近くの蒸溜所で季節労働をしていたという地元の言い伝えも紹介している。ただしこれは言い伝えの域を出ない話で、裏づけのある史実として扱うのは控えておきたい。それでも、大統領の幼い日の記憶と結びついたこの名前が、ケンタッキーの古い時代を呼び起こす響きを持っていることは間違いない。
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