なぜ古いウイスキーのラベルには「特級」と書かれているのか——味の格付けではなく、税金の話だった
古いボトルに刷られた「特級」の二文字は、味の格付けではなく税金の区分だった。法律上は原酒が一滴でもウイスキーと名乗れた時代、GATTが突きつけた勧告、そして1989年の廃止。ラベルの二文字が語る、戦後日本とウイスキーの物語。
中古ボトルを扱う酒屋やオークションの写真で、古いウイスキーのラベルに「特級」と刷られているのを見たことがないだろうか。
堂々とした二文字である。特級と書いてあるのだから、さぞ上等なウイスキーなのだろう——そう受け取るのが自然だ。
ところが、これは味の格付けではない。品質を審査して与えられた称号でもない。「特級」は、税金の区分だった。
「特級・一級・二級」は、税率の階段だった
かつての酒税法は、同じウイスキーでも中身に応じて級を分けていた。級別制度そのものは昭和18年(1943年)に、酒税収入を確保する観点から創設されたものである。当初は級の呼び名も段数も今の記憶とは違い、「特級・一級・二級」の三段階に落ち着いたのは1953年の酒税法だとされる。
線引きに使われたのは、主にアルコール度数と原酒混和率だ。後者は、ウイスキーの原酒をどれだけ使っているか、という割合である。原酒をたっぷり使い、度数の高いものほど、上の級になる。
そして級が上がるほど、税は重くなった。
1989年の改正を担当した大蔵省主税局の解説によれば、改正前の制度は「高級酒とされていたビールやウイスキー類等に対しては高い負担を、大衆酒とされていたしょうちゅうや清酒2級に対しては低い負担を」求める、細かく段差をつけた課税だった。さらにウイスキー類の高価格帯には、量に応じた従量税に代えて、値段に応じた従価税が適用される。高いウイスキーほど、税も値段に比例して膨らむ仕組みである。
つまり「特級」とは、平たく言えばもっとも重い税を払ったウイスキーという意味だった。憧れの二文字の正体は、税率表の一番上の段だったのだ。
なお基準値は何度も改定されており、時期によって数字が違う。一般には1953年時点で、43度以上が特級、40度以上43度未満が一級、40度未満が二級と解説されることが多い。
法律上は、原酒が「一滴」でもウイスキーだった
級別制度の意味を理解するには、当時の「ウイスキー」の定義を知る必要がある。
同じ大蔵省主税局の解説は、改正前の酒税法をこう説明している——ウイスキー原酒が1滴しか使用されていなくとも、その香味、色沢、性状がウイスキーに類似すればウイスキーとされていた。
つまり、アルコールやスピリッツに香料と色を足したものでも、法律上はウイスキーを名乗れた。もっとも、これはあくまで法の建て付けの話で、実際には通達によって、二級にも最低10%の原酒が含まれていたという。
とはいえ「原酒をどれだけ使っているか」で中身の濃さが天と地ほど変わる以上、そこが税の物差しになるのは当然だった。級別制度とは、中身の薄いウイスキーと濃いウイスキーを、税で仕分ける道具でもあったのである。
1989年の改正では、この緩い建て付け自体が正された。通達で運用していた「原酒10%」という線が、法律上の定義そのものに格上げされたのだ。以後、原酒の混和割合が10%に満たないものは、ウイスキーではなくスピリッツとなった。
だから戦後の日本人は、下の級を飲んでいた
税が軽ければ、安く売れる。戦後の日本で圧倒的に飲まれたのは、原酒が少なく度数も控えめな、下の級のウイスキーだった。
その象徴が「トリス」である。サントリーの公式サイトによれば、トリスが生まれたのは1946年。「うまい、やすい」を掲げた大衆ウイスキーだった。1950年代には全国に「トリスバー」が広がり、PR誌『洋酒天国』とともに一大ブームを起こす。
戦後日本の洋酒文化が大衆に広まった入口は、高級なシングルモルトではない。税の軽い、安いウイスキーの一杯だった。

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