なぜバッファロートレースは、これほど多くの「伝説のバーボン」を生む蒸溜所なのか——禁酒法を生き延びた蒸溜所と、一つ屋根の下の造り分け
パピー、ブラントン、ウェラー、イーグルレア——憧れのバーボンの多くが、ケンタッキーのたった一つの蒸溜所から生まれる。その理由を、蒸溜所の歴史と「マッシュビルの造り分け」から読み解く。
パピー・ヴァン・ウィンクル。ブラントン。ウェラー。イーグルレア。ジョージ・T・スタッグ——バーボンを少しでもかじった人なら、「手に入らない一本」として名前を聞いたことがあるはずだ。不思議なのは、これらの"伝説"が、ばらばらの蒸溜所から生まれているわけではないことだ。その多くが、ケンタッキー州フランクフォートにあるたった一つの蒸溜所、バッファロートレースから出てくる。
なぜこの一か所から、これほど多くの憧れのボトルが生まれるのか。その理由は、この蒸溜所が背負ってきた歴史と、内側に隠した「造り分け」の仕組みにある。
禁酒法をくぐり抜けた、アメリカ最古の"稼働"蒸溜所
バッファロートレースは、自らを「アメリカで最も長く操業を続ける蒸溜所」と名乗る(同じ看板を掲げる蒸溜所は他にもあり、この称号には諸説ある)。その根拠のひとつが、禁酒法(1920〜1933年)を生き延びたという事実だ。多くの蒸溜所が扉を閉ざすなか、ここは「薬用ウイスキー」の販売を政府に認められた全米でわずか6か所の蒸溜所の一つとして、在庫を世に出し続けた。
歴史をさかのぼると、1870年前後にこの地へ投資したのが、「近代バーボン産業の父」と呼ばれるE・H・テイラー大佐だった。彼が築いた蒸溜所は、のちに彼の資金面を支えた酒類商ジョージ・T・スタッグの手に渡り、長く「ジョージ・T・スタッグ蒸溜所」と呼ばれた。現在の名前「バッファロートレース(=バッファローが川へ向かって踏み固めた道)」に改称されたのは、意外にも新しく1999年のこと。1992年からはニューオーリンズの酒類企業サゼラック社(ゴールドリング家)が所有している。
一つの蒸溜所が、なぜこれほど多彩な顔を持つのか
バッファロートレース最大の秘密は、複数のマッシュビル(穀物配合)を一つ屋根の下で使い分けていることだ。バーボンはトウモロコシを主体に、副原料としてライ麦か小麦を混ぜる。ここではその配合を大きく三系統に分けている。
一つ目は「マッシュビル#1」と呼ばれるライ麦が少なめの配合で、フラッグシップのバッファロートレースや、シングルバレルの名品として名高いイーグルレア、そしてE・H・テイラー、ジョージ・T・スタッグがここから生まれる。

このコラムの関連
関連するボトル

Pappy Van Winkle's Family Reserve 15 Year
🇺🇸 アメリカ ・ バッファロートレース蒸留所 ・ ウィート ・ 15年 ・ 53.5%
次に読む

なぜ蒸溜所は、酒を造る工場なのに見学者を招き入れるようになったのか——1969年に開いた一枚の扉と、年270万件の訪問
蒸溜所はもともと、一般客に語る動機がない場所だった。1969年にグレンフィディックが開いた受付棟から、年270万件の訪問を集める産業へ。蒸溜所見学が生まれた理由と、日本の人気蒸溜所で製造現場が抽選制になった事情をたどる。

なぜジョニーウォーカー ブルーラベルは、年数表記がないのに「最高峰」なのか——初期ボトルに刷られた「15〜60年」と、静かに消えた一行
ブラックラベルは「12年」と刻むのに、シリーズの頂点に立つブルーラベルには年数がない。1987年に「オールデスト」として生まれた一本の、初期ラベルに刷られていた「15-60年」という一行の行方をたどる。




