なぜカリラは、アイラ最大の蒸溜所でありながら「知る人ぞ知る」存在なのか——ジョニ黒を支えた原酒と、ジュラを望むスチルハウス
アイラ島で最大の生産能力を持つカリラ。それでも名前が挙がりにくいのは、生産の大半をブレンド用に供給してきたから。ラガヴーリンと同じ煙をまといながら軽やかな理由と、その来歴を読み解く。
アイラ島には、名前だけで人を身構えさせる蒸溜所がいくつもある。ラフロイグ、アードベッグ、ラガヴーリン——スモーキーの代名詞として語られてきた顔ぶれだ。
ところが、この島でいちばん多くのウイスキーを造っているのは、そのどれでもない。島の北東、ポート・アスケイグ近くの入り江に建つカリラである。
にもかかわらず、「アイラの入門なら?」と聞いてカリラの名が返ってくることは多くない。島の最大手が、なぜここまで「知る人ぞ知る」側に回ってきたのか。この記事では、その理由を蒸溜所の成り立ちと、ボトルの外側で起きていた事情から読み解いていく。
島でいちばん造っているのに、名前が出てこない
カリラは1846年、グラスゴーの実業家ヘクター・ヘンダーソンによって建てられた。名前はゲール語でアイラ海峡を意味する。蒸溜所は文字どおり、その海峡に面して建っている。
現在の姿になったのは、1972年から74年にかけての建て替えによる。既存の建物をいったん解体し、スチルを2基から6基へと増やす大規模な再構築だった。2011年の設備更新を経て、年間生産能力はおよそ650万リットル(純アルコール換算)に達している。アイラ島の蒸溜所としては最大規模だ。
では、その膨大な原酒はどこへ行っていたのか。
答えはブレンデッドウイスキーである。カリラの生産の大半は長らく、シングルモルトとしてではなく、ブレンドの構成原酒として出荷されてきた。とりわけ知られているのがジョニーウォーカー ブラックラベルで、あの一杯に漂うかすかな煙は、カリラが担ってきた役割の一つだ。
その比率は9割以上にのぼったとも言われる。正確な数字は公表されておらず諸説あるが、「自社銘柄よりブレンド用が主だった」という構図そのものは各所で一致している。
つまりカリラは、島でいちばん造っていながら、その大半が他人の名前のボトルに入って出ていく蒸溜所だった。知られていなかったのではない。名前を出さない仕事を、何十年も引き受けてきたのだ。

ラガヴーリンと同じ煙、なのに軽い
面白いのは、カリラが「薄いから脇役に回った」わけではない点だ。
原料となるモルトのフェノール値(ピートの焚き込み具合を示す数値)は、おおむね35ppm前後とされる。これは近隣のラガヴーリンとほぼ同じ水準だ。数字の上では、あの重厚な一杯と同じだけ煙をまとった麦芽を使っている。
ところが、出てくる酒はまるで違う。カリラの12年を口に含むと、煙は確かにあるのに、輪郭は驚くほど軽い。オイリーさより先にレモンや潮の塩気が立ち、余韻はすっと引いていく。
この差を生んでいるのは、ピートより後ろの工程だと言われる。
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