なぜ「閉鎖された蒸留所」のウイスキーは、あれほど高値がつくのか——ポートエレン、軽井沢、そして幻を生んだ1980年代
ポートエレン、ブローラ、軽井沢、羽生——もう造られない「幻の蒸留所」の酒に、なぜ数十万円の値がつくのか。1980年代の不況「ウイスキー・ロッホ」が幻を生んだ経緯と、値段を跳ね上げる仕組み、そして近年の復活までを追う。
バーの棚のいちばん上に、値札を二度見してしまう一本が置かれていることがある。ポートエレン、ブローラ、軽井沢、羽生——。銘柄はばらばらでも、共通点がひとつある。どれも、その蒸留所がもう動いていない(あるいは、長いあいだ止まっていた)ということだ。
こうした「幻の蒸留所」の酒には、ときに一本で数十万円、コレクションなら億に届く値がつく。では、飲めば誰にでも分かるほど飛び抜けて美味しいから高いのか。先に答えを言えば、そうとは限らない。この記事では、幻が生まれた1980年代の事情と、値段が跳ね上がる仕組み、そして近年つづく「復活」までを追いかける。
幻の酒は、好況ではなく不況が生んだ
1970年代のスコッチ業界は、需要は伸び続けると信じて増産に走った。ところがオイルショック後の不況が訪れ、消費者の好みは軽い酒へ移り、輸出も鈍る。造りすぎた原酒は樽の中で行き場を失い、業界はこの在庫の海を自嘲まじりに「ウイスキー・ロッホ(ウイスキーの湖)」と呼んだ。
数字を見ると深刻さが分かる。モルトウイスキーの生産量は1978年の約2億766万リットル(純アルコール換算)をピークに、1983年には約9338万リットルへ——5年で半分以下に落ち込んだ。当時業界最大手だったDCL(のちのディアジオ)は1983年にモルト9カ所とグレーン1カ所を閉鎖し、その2年後にはさらに10カ所のモルト蒸留所を閉じている。
アイラ島のポートエレン(1825年創業)も、北ハイランドのブローラも、この1983年に火が消えた。ローランドのローズバンクが閉じるのは1993年。いま「幻」と呼ばれ珍重される銘柄の多くは、この不況の落とし子である。
「味が悪かったから閉じた」わけではない
ここは誤解されやすい。閉鎖されたのは、まずかったからではない。当時のモルトウイスキーはその大半がブレンデッド用の原酒であり、蒸留所は「自社のブレンドに要る原酒を、どれだけ効率よく造れるか」で値踏みされていた。
だから物差しになったのは、味の優劣よりも、設備の古さ、拡張の余地、輸送の便、同じ会社が近くにもっと効率のよい蒸留所を持っていないか——といった、身も蓋もない条件だった。皮肉なもので、のちにコレクターを熱狂させることになる個性の強さは、「均質な原酒を安く大量に」という当時の要請の前ではむしろ厄介ですらあった。
彼らは味で負けたのではない。時代の勘定に合わなかったのだ。
値段を決めたのは、20年遅れてきたブーム
閉鎖された当時、これらの酒は高くなかった。1990年代まで、独立系ボトラーの棚や蔵出しシリーズに、いまでは考えられない価格で並んでいた時期がある。相場が動きだしたのは、シングルモルトが世界的に見直され、日本のウイスキーが賞を獲り、コレクター市場が育った2000年代以降——閉鎖から20年ほど遅れて、ブームのほうが後からやって来た。
ここに、幻の酒の値段を決める単純で残酷な仕組みがある。原酒の総量が二度と増えないということだ。樽の中身は減りこそすれ増えず、一本開けられれば、この世の在庫はそれきり一本減る。増産という逃げ道のない商品に人気が集まれば、価格は上がるほかない。
だから高値は「味の順位表」ではない。「もう二度と造られない」という事実に市場がつけた値段であり、そこに希少性と物語と投機の熱が乗っている。幻の一本が美味しいことと、その値段が味に見合っていることは、まったく別の話だと考えたほうがいい。
日本にもあった「冬の時代」——軽井沢と羽生
同じことが日本でも起きていた。国産ウイスキーが売れず、蒸留所が静かに減っていった「冬の時代」である。
メルシャン(のちにキリン傘下)が営んだ軽井沢蒸留所は2000年に操業を終え、2011年に正式に閉鎖、2016年には設備も解体された。ところがその濃厚なシェリー樽の原酒は海外で伝説となる。2020年3月、ロンドンのサザビーズで「軽井沢52年(1960年蒸留・カスク#5627)」が36万3000ポンドで落札。さらに2026年3月には、クリスティーズで1999年蒸留の樽2つが合計425万ポンド(約570万米ドル)という記録的な値で取引された。
もうひとつが埼玉の羽生蒸溜所だ。ここも2000年に蒸留を止めたが、創業家の孫にあたる肥土伊知郎(あくと・いちろう)氏が、残された約400樽を引き取った。彼はそれを2005年から2014年にかけて一樽ずつ瓶詰めし、トランプの絵柄をラベルにした全54種の「カードシリーズ」として世に出す。そのフルセット54本は2019年8月、ボナムズ香港で719万香港ドル(約91万7000米ドル)で落札され、日本のウイスキーのコレクションとして当時の世界最高額を記録した。
大事なのはこの先だ。彼は羽生から受け継いだものを元手に、2007年に秩父蒸溜所を建て、翌2008年から蒸留を始めた。幻は、終わりであると同時に、次の始まりでもあった。

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