なぜ蒸溜所は、いま「ピートを焚くこと」に悩み始めたのか——1メートル積もるのに1,000年かかる土と、8,000トンの煙
アイラの一杯を支えるピートは、年1ミリしか積もらない湿原の堆積物。スコットランドの泥炭地の約8割が劣化するなか、ウイスキー業界の使用量は英国全体の数パーセントとされてきた。それでも造り手が動き始めた理由をたどる。
煙を愛する私たちが、あまり考えてこなかったこと
アイラの一杯を口に運ぶとき、私たちは「煙」を味わっている。焚き火、潮、消毒薬、燻製——受け取り方はさまざまだが、香りの出どころは一つだ。麦芽を乾かす窯で焚かれた、ピート(泥炭)である(→アイラのピートはなぜ薬品っぽいのか)。
ところがここ数年、その煙をいちばん大切にしてきたはずの造り手たちが、「ピートを焚くこと」について静かに悩み始めている。味の話ではない。掘っている土そのものの話だ。
この記事では、ピートがどれだけ長い時間の産物なのか、ウイスキーが実際にどれほど使っているのか、そして造り手たちがいま何を始めているのかを順にたどる。
1メートル積もるのに、1,000年かかる
ピートは、水に浸かった湿地で植物が分解されきらないまま積み重なったものだ。酸素の乏しい水の中では腐敗が進まず、ミズゴケやヒース、スゲといった植物が、崩れきらないまま層になって残っていく。
その速度が、おそろしく遅い。堆積はおおむね年1ミリ程度とされ、1メートルたまるのに1,000年かかる計算になる。スコットランド北部フロー・カントリーのブランケットボグは、氷河期の氷が去ったのち、およそ9,000年前から育ち続け、深いところでは10メートルに達する。
つまり蒸溜所がスペードで切り出す一片は、ローマ帝国の時代どころか、農耕が始まった頃より古い時間の堆積物でもありうる。掘ったあとに植生が戻り、ふたたび堆積が始まることはある。それでも人の時間の尺度では、実質的に再生しない資源と考えるほかない。
掘る話ではなく、炭素の話
ピートがいま注目されているのは、それが巨大な炭素の貯蔵庫だからだ。泥炭地が覆うのは地球の陸地の3%前後にすぎない。それでいて、世界の土壌に蓄えられた炭素の3割近くを抱えている——世界中の森林の樹木が蓄える量の、およそ2倍にあたるとされる。
スコットランドに限っても、泥炭地は国土のおよそ2割を覆い、約16億トンの炭素を蓄えている。ところが、その約8割がすでに劣化した状態にある。排水、放牧、植林、開発——原因はいくつもあるが、乾いた泥炭地は炭素を吸う側から、吐き出す側へ回ってしまう。
だからスコットランド政府は、2030年までに25万ヘクタールの泥炭地を再生させる計画に2.5億ポンドを投じるとしている。ウイスキーの話が始まる前に、まず土地そのものが弱っているのだ。
ウイスキーの取り分は、驚くほど小さい
では、ウイスキーはどれほど掘っているのか。
英国製麦業者協会(MAGB)の推計としてスコッチウイスキー協会(SWA)が公表した数字によれば、2023年に業界が使ったピートは約8,000トン。そこから約64,000トンのピーテッドモルトが造られた。スコッチ向けにピーテッドモルトを製造する製麦所は、9か所しかない。2010年代半ばの英国の採掘データにもとづく推計では、英国全体のピート採掘量に占めるウイスキーの割合は数パーセントにとどまり、最大の用途はウイスキーではなく園芸用の培養土だった。
意外に思われるかもしれない。あれだけ「ピート、ピート」と語られる酒が、実際の採掘量では脇役なのだ。
ただし、この構図は動きつつある。英国(主にイングランド)では園芸用ピートの販売を禁じる方針が示され、小売や園芸団体の自主的な脱ピート化も進んでいる。法制化は遅れており全面禁止は2030年ごろとみられるが、この用途が減れば、相対的にウイスキーの比重は上がる。
そして量とは別に、掘る場所の問題がある。英国に5,800ヘクタール(うちスコットランドに2,500ヘクタール)しか残っていない、低地の隆起湿原(lowland raised bog)から採られるピートもあるからだ。すべてがそうではなく、むしろ多くは、アイラのキャッスルヒルやオークニーのホビスター・モアのように、より一般的なブランケットボグから切り出されている。それでも、希少な湿原にかかる分だけは、総量の小ささでは埋め合わせられない。
SWA自身、文書のなかにこう書いている——影響という点で、無視してよいピート使用など存在しない、と。産業として取り分が小さいことは、免罪符にはならないという立ち位置である。
造り手たちが動き始めた
2023年、SWAは「責任あるピート利用へのコミットメント」をまとめ、2025年に改訂した。製麦の効率を上げて使用量そのものを減らし、同時に泥炭地の再生に関わる、という二本立ての方針だ。
具体例で見るとわかりやすい。オークニーのハイランドパークは、ピートを切り出すホビスター・モアを自ら所有・管理する、数少ない蒸溜所である。とはいえ好きに掘れる私有地というわけではない。土地はオークニー諸島議会の許認可のもとにあり、敷地の大半はRSPB(英国王立鳥類保護協会)に貸し出されて自然保護区として管理されている。ピートを切るのは、その一角にすぎない。
掘ったあとの土地でどうすればピートが戻るのか、RSPBや環境当局と組んで手探りを続けている。窯の効率を上げることで、あの複雑な個性を変えないまま採掘量を減らしてきたという。親会社エドリントンは、泥炭地管理の専任担当者を蒸溜所に置いている(→ハイランドパークの種類と選び方)。
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