なぜイチローズモルトは世界に愛されるのか——廃棄寸前だった400樽から始まった、秩父の小さな革命
廃棄寸前だった羽生蒸溜所の400樽から始まったイチローズモルト。トランプのカードシリーズが日本産ウイスキーの最高額記録を打ち立て、秩父の小さな蒸溜所が世界を魅了するまでの物語と造りの秘密を読み解く。
2019年8月、香港。英オークションハウス「ボナムス」の競売で、日本のウイスキー54本のセットに約9,750万円の値がついた。日本産ウイスキーとして、当時の史上最高額である。造り手は、サントリーでもニッカでもない。埼玉県秩父市の小さな蒸溜所——ベンチャーウイスキーの「イチローズモルト」だ。創業から15年足らずの会社である。
なぜ、この若いブランドが世界のコレクターと愛好家をここまで惹きつけるのか。その答えは、「廃棄」を宣告された400樽の物語から始まる。
始まりは、行き場を失った400樽
イチローズモルトの創業者・肥土伊知郎(あくと・いちろう)は、江戸時代から続く造り酒屋の家に生まれた。祖父が設立した東亜酒造は、埼玉県羽生市の羽生蒸溜所でウイスキーを造っていたが、2000年に経営が行き詰まり民事再生法を申請。2003年に事業の譲渡が決まると、新しい引受先はウイスキー事業からの撤退を決めた。
このとき羽生蒸溜所には、最長で20年近く熟成を重ねたモルト原酒が約400樽眠っていた。下された決定は「廃棄」。肥土氏はこの原酒を救うため引き取り先を探して奔走し、最終的に福島県郡山市の笹の川酒造が貯蔵を引き受けた。2004年9月、肥土氏はこの400樽とともに株式会社ベンチャーウイスキーを設立する。ブランド名「イチローズモルト」は、自身の名から取ったものだ。
トランプのラベルが世界に配った「名刺」
救い出した羽生の原酒は、樽ごとに個性がまるで違った。そこで肥土氏が選んだのが、樽単位で瓶詰めし、トランプの札をラベルにあしらう「カードシリーズ」という売り方だ。2005年から2014年にかけて、52枚の札とジョーカー2種、全54種が世に出た。
バーの棚で目を引き、「次の一枚」を追いたくなる仕掛けは、コレクターの心を確実に捉えた。2006年には「キング・オブ・ダイヤモンズ」が英『ウイスキーマガジン』誌のジャパニーズモルト特集で最高得点のゴールドアワードに選ばれ、海外での知名度を一気に押し上げる。そして冒頭の2019年、フルセットが約9,750万円で落札されるに至る。廃棄寸前だった原酒は、十数年の時を経て日本産ウイスキーの最高額記録になった。
秩父蒸溜所——「小ささ」を武器にする造り
物語だけでは、世界の評価は続かない。肥土氏は2007年、地元・秩父に自前の蒸溜所を完成させ、2008年2月に製造免許を取得して蒸留を始めた。
秩父蒸溜所の設備は徹底して小さい。ポットスチルは初留・再留とも容量2,000リットルと、大手の大型スチルに比べればはるかに小さい。一方でこだわりは深く、発酵槽には世界でも珍しい国産ミズナラ材の木桶を8基採用し、大麦の一部は蒸溜所内のフロアモルティングで自家製麦する。地元秩父産大麦の使用や、秩父山地のミズナラを使った樽づくりまで、「土地の酒」としての挑戦を重ねている。

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