なぜジョニーウォーカーは「世界一売れるスコッチ」になったのか——キルマーノックの食料品店と、歩き続ける紳士
年間2,160万ケースと2位の2倍以上を売る、世界一のスコッチ・ジョニーウォーカー。出発点はキルマーノックの小さな食料雑貨店だった。四角い瓶、24度のラベル、歩き続ける紳士——世界一への200年をたどる。
「ジョニ赤」「ジョニ黒」の愛称で、日本のバーにも家庭にも当たり前のように置かれているジョニーウォーカー。その販売量は2024年で2,160万ケース(9L換算)。2位のバランタイン(930万ケース)の2倍以上という、文字どおり「世界一売れているスコッチ」だ。
だが出発点は、スコットランド南西部の町キルマーノックの、小さな食料雑貨店だった。なぜ一介の食料雑貨店の酒が、180カ国以上で飲まれる世界一のスコッチになったのか。この記事では、その200年の道のりを「ブレンドの発明」と「売り方の発明」という二つの視点からたどる。
14歳の店主と、紅茶を混ぜる腕
1819年、農場主だった父が亡くなり、ウォーカー家は農場を売却する。その資金417ポンドを元手に、翌1820年、息子のジョン・ウォーカーはキルマーノックの大通りに食料雑貨店を開いた。まだ10代半ばの少年だった。
店では紅茶や香辛料も扱っており、産地ごとに質の揺れる茶葉を混ぜ合わせて味を一定に保つのは、当時の商人の腕の見せどころだった。この「調合の感覚」が、のちにウイスキーへ持ち込まれることになる——というのが、ブランドの原点として語り継がれている物語だ。当時のシングルモルトは樽ごと・仕込みごとの品質差が大きく、「いつ買っても同じ味」はそれ自体が価値だった。
1852年にはキルマーノックを襲った洪水で店の在庫を失い、廃業寸前まで追い込まれたと伝わる。それでも店は立ち直り、ウイスキーは徐々に商いの中心になっていった。
四角い瓶と、24度に傾いたラベル
転機は2代目の時代に来る。1857年にジョンが没すると、息子のアレグザンダー・ウォーカーが事業を継いだ。その3年後の1860年、英国のスピリッツ法改正でモルトウイスキーとグレーンウイスキーのブレンドが正式に認められ、「ブレンデッドスコッチ」の時代が幕を開ける。
アレグザンダーはここで、中身と同じくらい「容れ物」を発明した人物だった。1860年に導入した四角いボトルは、丸瓶より輸送中に割れにくく、同じ箱により多く詰められる。そして瓶に斜めに貼られたラベル——正確に24度傾いたあのラベルは、文字を大きく目立たせるための工夫で、1877年に商標登録されている。1865年に生み出した自社ブレンドは「オールドハイランドウイスキー」として1867年に登録され、これがのちの「ジョニーウォーカー」の原型となった。
ブレンドの心臓部を確保する動きも早かった。1893年にはスペイサイドのカーデュ蒸溜所を買収し、鍵となるモルト原酒を自社で押さえている。
昼食の席で生まれた「歩き続ける紳士」
1908年、3代目の時代。イラストレーターのトム・ブラウンは、会社の重役との昼食の席で、紙の裏にさらりと一人の紳士を描いたと伝えられる。シルクハットにフロックコート、ブーツにステッキ——大股で歩く「ストライディングマン」の誕生である。
翌1909年には、顧客が親しみを込めて呼んでいた「赤ラベル」「黒ラベル」がそのまま正式名称に採用された。「Born 1820 — still going strong(1820年生まれ、いまも意気軒昂)」のスローガンとともに、創業者ジョンの愛称「ジョニー」を冠したブランドは、広告の力で世界へ歩き出す。

このコラムの関連
関連するボトル


次に読む

なぜ響は「ジャパニーズウイスキーの頂点」と憧れられるのか——調和という思想と、90年目に生まれた一本
サントリー創業90周年に生まれたブレンデッド「響」。名前・ボトル・味わいのすべてに貫かれた「調和」という思想と、山崎・白州・知多の原酒が響き合う理由、そして手に入りにくくなった今の姿までを読み解く。

なぜ白州は「森香る」ウイスキーと呼ばれ、これほど愛されるのか——南アルプスの森に建つ、サントリー二番目の蒸溜所
緑のボトルと「森香るハイボール」で知られる白州。標高708mの森に建つサントリー二番目の蒸溜所が、なぜ「森香るウイスキー」と呼ばれ、これほど愛されるのか——立地・水・多彩な原酒から読み解く。






