なぜ角瓶は90年近く「日本の定番」であり続けるのか——白札の挫折と、飲み手が名づけた亀甲模様のボトル
「とりあえず角ハイ」の一杯には90年分の物語がある。白札の挫折、亀甲模様に賭けた鳥井信治郎、市場が6分の1に縮んだ冬の時代、そしてハイボールでの復活——角瓶が定番であり続ける理由をたどる。
「とりあえず角ハイ」。居酒屋でそう注文したことのある人は、少なくないはずです。黄色いラベルと、亀の甲羅のような模様が刻まれた四角い瓶。サントリーの「角瓶」は1937年(昭和12年)の発売から90年近く、日本の食卓と酒場で飲まれ続けています。
しかしその歩みは、順風満帆とはほど遠いものでした。始まりには手痛い失敗があり、途中には市場そのものが6分の1に縮む「冬の時代」もありました。この記事では、角瓶がなぜ生まれ、なぜ甦り、いまも定番であり続けるのかをたどります。
出発点は「売れなかった日本初の本格ウイスキー」
物語は角瓶より前、1929年(昭和4年)に始まります。寿屋(現・サントリー)の創業者・鳥井信治郎は、役員たちの反対を押し切って1923年に山崎蒸溜所の建設に着手し、日本で本格的なウイスキーづくりを始めました。その最初の製品が「サントリーウヰスキー(白札)」です。
ところが白札は売れませんでした。スコッチを手本にしたスモーキーな味わいが、当時の日本人には「焦げ臭い」「煙臭い」と受け取られ、返品が相次いだと伝えられます。日本初の本格ウイスキーは、市場の洗礼を浴びて失敗に終わったのです。なお白札はその後改良を重ね、現在も「サントリーホワイト」として販売が続いています。

「これや!」——1937年10月8日
それでも鳥井は蒸溜をやめませんでした。山崎の樽のなかで原酒は静かに熟成を重ね、白札の失敗から学んだブレンドの研究が続きます。そして1937年10月8日、渾身のブレンドが「サントリーウヰスキー12年」として世に出ました(「12年」は原酒の一部に12年物を使ったことによる当時の呼び名で、のちにラベルからは消えています)。これがのちの角瓶です。
面白いのは、発売時のラベルに「角瓶」という文字はどこにもなかったことです。薩摩切子の香水瓶にヒントを得たと伝えられる亀甲模様の四角いボトルがあまりに印象的だったため、飲み手のあいだで誰からともなく「角瓶」「角」と呼ばれるようになり、その愛称が1950年代に正式な商品名になりました。デザインを手がけたのは寿屋のチーフデザイナー・井上木它。琥珀色の液体を美しく反射させる亀甲のカットには、「日本のウイスキー」としての矜持が込められています。
商品の名前を作り手ではなく飲み手がつけた——角瓶が「国民的ウイスキー」と呼ばれる理由の一端は、この誕生のいきさつによく表れています。

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