なぜ宮城峡は、力強い余市の「対」として生まれた「やわらかな」シングルモルトなのか——霧の谷と、スチームで焚くスチル
北海道・余市の力強さの陰で、宮城峡はなぜ「やわらか」で愛されるのか。竹鶴政孝が二つ目にあえて選んだ霧の谷、スチームで焚くスチル、そしてカフェスチルが生む多彩な原酒から、「もう一つのニッカ」の魅力を読み解く。
力強い余市の陰に、もう一つのニッカがある。りんごや洋梨を思わせる華やかさと、するりとした口当たりで知られる宮城峡だ。同じニッカのシングルモルトでありながら、余市とは驚くほど印象が違う。この記事では、竹鶴政孝がなぜ「二つ目」の蒸溜所をあえて正反対の性格に仕立てたのか、その立地・造り・味わいから読み解く。
竹鶴が「二つ目」に選んだ、霧の谷
宮城峡蒸溜所が竣工したのは1969年。北海道の余市に続く、ニッカにとって二つ目のモルト蒸溜所だった。当初の正式名称は「仙台工場」で、のちに商品やツアーを通じて「宮城峡」の呼び名が定着していく。
場所は仙台の中心から西へ約20キロ、新川川(にっかわがわ)と広瀬川が合流するあたりの谷あいにある。二つの川の水温差から霧が生まれやすく、ウイスキーの熟成に向いた、しっとりと湿った土地だ。仕込みには蔵王の山々から流れ下る新川の水が使われる。
創業者の竹鶴政孝がこの地を即決したのには、有名な逸話がある。新川の水でブラックニッカの水割りをつくって口に含み、その水質に惚れ込んでその場で建設を決めた——と語り継がれる。真偽はともかく、竹鶴が「水」を蒸溜所選びの決め手にしたこと自体は、彼の一貫した信条とよく重なる。いまも手に取りやすい定番として受け継がれる、その末裔がブラックニッカ クリアだ。

なぜ「やわらか」なのか——スチームで焚くスチル
宮城峡の個性を決めているのは、何より蒸溜のやり方だ。余市が石炭を直接くべる「石炭直火焚き」で力強く重厚な酒質を生むのに対し、宮城峡は蒸気で間接的にじっくり加熱する「スチームによる間接加熱」を採る。余市の直火とは異なるこの方式を、性格の違う原酒をつくるためにあえて選んだのだ。
スチルの形も対照的だ。宮城峡のポットスチルは首の付け根がふくらみ、蒸気を上へ導くラインアーム(導管)が斜め上を向いている。この形だと、いったん立ちのぼった蒸気の重い成分が壁で冷えて何度も鍋へ戻る「還流」が起きやすい。軽く繊細な香りの成分だけが上まで抜けていくため、クリーンで華やかな酒質になる。同じ会社が、加熱と形の二つを変えるだけで、これほど性格の違う二つのモルトを描き分けているのだ。

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