なぜ蒸溜所の職人には、勤務中にウイスキーが配られていたのか——1日3杯の「ドラム」と、窓辺に置かれた銅のティーポット
スコッチの蒸溜所では、働く人に勤務中のウイスキーが配られていた。盗み飲みを防ぐために始まったとされる「ドラミング」——一日三杯という量の実像と、1970年代に消えた理由、そしていま一本のボトルに残るその記憶をたどる。
午前6時に一杯。正午にもう一杯。12時間の勤務を終える午後6時に、最後の一杯。
これは酒場の話ではない。ボウモアの蒸溜所で働いていた人が語る、かつての勤務中の一日だ。しかも会社が用意した酒で、隠れて飲んでいたわけではない。
いまの職場感覚からすれば、まず考えられない。けれどスコッチの蒸溜所では、働く人に勤務中のウイスキーを配ることが、およそ二百年にわたって当たり前の習慣だった。「ドラミング(dramming)」と呼ばれる。
この記事では、その習慣がなぜ生まれ、実際どれほどの量が配られ、そしてなぜ消えたのかをたどる。最後に、その記憶がいまも一本のボトルとして売られている話をする。
盗ませないために、飲ませた
意外に思われるかもしれないが、ドラミングは福利厚生として始まったわけではない。目的は、盗み飲みを防ぐことだったとされる。
蒸溜所は、そこかしこにそのまま飲める酒がある場所だ。目の前にいくらでもあるものを、働く人が一滴も口にしないという前提は、そもそも無理がある。ならば決まった時間に決まった量を正式に渡してしまったほうが、隠れて持ち出されるより管理しやすい——という考え方である。1951年に書かれたスコッチ史の古典でも、無料の「ドラム」は抗いがたい誘惑への対抗策として設けられた、と説明されている。
英語の dramming という語自体は1771年に登場したとされ、蒸溜所での配給の慣行は18世紀までさかのぼると言われる。もっとも、そのころのスコットランドではウイスキーづくりの多くが非合法だったため、「正式な配給」と「役得」の線引きは、いまの目で見るほどはっきりしていなかっただろう。
一日三杯、ときに五杯
配る量は蒸溜所ごとに違った。共通していたのは、想像よりずっと多いということだ。
冒頭のボウモアのように、朝・昼・終業時の三回というのが基本形だったらしい。1970年代のスペイサイドでも、勤務の始めに一杯、昼に一杯、そして仕事を終えるときに一杯という三回が一般的だったという。1974年8月にこの世界へ入り、ベンリネス、マッカラン、グレンロセス、グレンマレイで30年を過ごした元従業員は、水差しから注がれるその酒を、加水なしの、澄んだ70度の酒だったと振り返る。多い蒸溜所では一日に五回配られたという記録もある。
配られたのは、多くの場合は樽に入る前のニューメイクスピリッツだったとされる。現場では「クレアリック(clearic)」「白いやつ」などと呼ばれた。熟成した酒が使われることもあった。
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