なぜオールドフォレスターは「アメリカ最初の瓶詰めバーボン」を名乗るのか——樽から量り売りの時代に、署名入りの封印瓶で売った男
19世紀のアメリカでは、ウイスキーは樽から量り売りされ、途中で薄められることも珍しくなかった。封をした瓶でしか売らないと決めたオールドフォレスターの発想と、「最初」という称号が近年の調査で揺らいでいる理由をたどる。
いまウイスキーを買うとき、私たちは迷わず「瓶」を手に取る。ラベルに銘柄名があり、栓には封があり、どの店で買っても中身は同じ——そう信じて疑わない。
けれど19世紀のアメリカでは、それは当たり前ではなかった。ウイスキーは樽で運ばれ、酒場や問屋の店先で、客が持ってきた容器に量り売りされるのが普通だったのだ。
その時代に「うちの酒は封をした瓶でしか売らない」と決めたと伝えられる男がいる。ケンタッキー州ルイビルのジョージ・ガーヴィン・ブラウン。彼が1870年に始めたとされる銘柄が、オールドフォレスターだ。今もこのブランドは「アメリカ最初の瓶詰めバーボン」を、商標の記号™を付けて名乗っている。
この記事では、なぜ瓶詰めがそれほど大きな意味を持ったのか、そしてその「最初」という称号が、近年の調査でどう揺らいでいるのかをたどる。
樽の酒は、途中で中身が変わった
当時のウイスキーは、蒸溜所から樽のまま問屋や酒場へ渡った。そこで樽から汲み出され、無地の瓶や水差しに詰め替えて売られる。
問題は、その途中で何をされても客には分からないことだった。ケンタッキー州の歴史サイトは、酒場が樽で仕入れた酒を無地の瓶に移して売っており、その過程で水増しや混ぜ物をする悪質な業者がいたと記している。南北戦争後には、高い度数のグレーンスピリッツに色や香りを付けて「バーボン風」に仕立てる業者もいた。
困ったのは飲み手だけではない。当時ウイスキーは薬としても使われていて、医師にとって、中身が毎回違う酒は治療の当てにならなかった。
製薬の営業マンが考えたこと
ブラウンはもともと製薬会社の営業マンだった。ブランド側の年表によれば、1870年、彼は異母兄とともに、蓄えと借金を合わせた5,500ドルで商売を始める。これがのちのブラウン=フォーマン社だ。
彼の答えは二つあった。一つは、マッティングリーなど複数の蒸溜所から樽を仕入れ、混ぜ合わせて毎回同じ味に整えること。もう一つが、それを封をしたガラス瓶に詰めて売ることだ。瓶には自分の署名と、「これに勝るものは市場にない」という一文を添えたと伝えられる。
いまのオールドフォレスターのラベルにも、手書き風の一文と署名が刷られている。創業者が瓶に添えたと伝わる「品質保証書」が、そのままデザインとして残っているわけだ。

ちなみに、ブランドが「1870年の造り方」を再現したとする一本が、この「1870 オリジナルバッチ」だ。三つの熟成庫から、造った日も樽詰めの度数も違う樽を選んで混ぜ合わせる。複数の蒸溜所の樽を混ぜた創業者のやり方を、自社の三つの熟成庫に置き換えた、というのがブランドの説明である。
名前の綴りには「r」が一つ多かった
銘柄名の由来は、ルイビルの医師ウィリアム・フォレスター(Forrester)だとブランドは説明している。瓶詰めの薬用ウイスキーという考えを支持した友人で、初期のラベルは医師と同じ「Forrester」の綴りだった。のちに「r」が一つ落ちて、今の「Forester」になる。
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