なぜオールド・プルトニーは「海のモルト」と名乗るのか——ニシンで栄えた町ウィックと、首を切られたスチル
スコットランド本土最北級の蒸留所オールド・プルトニー。「マリタイム・モルト(海のモルト)」を名乗る理由は、ニシン漁で沸いた港町ウィックの歴史と、頭を切り落とされたような異形のスチルにある。
スコットランド本土のほぼ最北、北海に突き出した港町ウィック。その一角に建つオールド・プルトニーは、自らを「マリタイム・モルト(海のモルト)」と名乗る、ほとんど唯一の蒸留所だ。
海沿いの蒸留所なら他にもいくらでもある。ではなぜ、この蒸留所がここまで「海」を背負うのか。答えは味の話だけでは終わらない。ニシンで栄え、やがて自ら酒を禁じた町の来歴が、そのままグラスに注がれている。
ニシンの「銀の恵み」が町を支えていた
創業は1826年。ジェームズ・ヘンダーソンが、ウィックに新しく築かれた街区プルテニータウンの名を取って興した。プルテニータウンはニシン漁の振興のために新たに設計された漁師の町で、蒸留所の水はいまも、技師トーマス・テルフォードが1807年に引いた水路が、ポンプを使わず自然の落差だけで運んでくる。
19世紀のウィックは、ニシン漁で沸きに沸いた。蒸留所の公式によれば、最盛期の1910年ごろには2,000隻もの船が港にひしめいたという。人々はニシンを「銀の恵み(silver darlings)」と呼んだ。
当時のウィックは陸路が細く、大麦は船で運び込まれ、樽詰めされたウイスキーもまた船で出ていった。蒸留所で働く男たちの多くは、漁の季節には漁師でもあった。原料も、製品も、人も、海が運んでいたのである。「海のモルト」という言葉は、香りの比喩である前に、まずこの事実に根ざしている。
町が酒を禁じた、25年間
ところがその町は、1920年12月の住民投票で、6割を超える賛成をもって「禁酒」を選ぶ。町じゅうの酒類販売免許が実際に失効したのは1922年5月のこと。そこから25年、1947年に免許が復活するまで、ウィックには酒を売るパブも免許酒販店も存在しなかった。アメリカの禁酒法より長い歳月である。
蒸留所はしばらく操業を続けたが、町の禁酒に世界恐慌後の市況悪化が重なり、1930年に火を落とす。扉がふたたび開いたのは、町の禁酒が解けてから4年後、1951年のことだった。その後、所有はいくつもの手を経て1995年にインヴァー・ハウス・ディスティラーズへ渡り、同社はいまタイのタイ・ビバレッジ傘下、インターナショナル・ビバレッジの一員となっている。
創業200年のうち、20年あまりは沈黙していた蒸留所。いま飲める一杯は、いちど途切れかけた火の続きだ。
首を切られた、平らなスチル
オールド・プルトニーを語るとき必ず話題になるのが、異形の初留釜だ。白鳥の首のような優美なカーブがない。胴の上に大きな「ボイルボール」を抱え、その上が水平にすっぱりと切り落とされている。冷却も、いまや希少になった木桶のワームタブを使う。
この平らな頭には「1826年に届いたスチルが建屋に収まらず、やむなく首を切った」という逸話がついて回る。ただし、これは蒸留所のガイドが語り継いできた伝承の域を出ず、裏づけのある史実として断定はできない。
はっきりしているのは、この形が蒸気と銅の接触・還流のしかたを変え、重たい成分を削ぎながらも厚みのある酒質を生んでいること。そしてワームタブがさらにボディを与えていることだ。丸みを帯びた独特のボトルの形は、このスチルを写したものだと言われている。
「塩気」の正体は、海水ではない
実際に飲むと、シトラスや潮風を思わせる香りの奥に、塩気のようなニュアンスが立つ。ただし「海のそばで熟成させたから海水の塩が入る」という説明は、いまでは慎重に扱われている。この点は別記事で詳しく書いた(→なぜ海沿いの蒸留所のウイスキーは「潮の香り」がするのか)。
面白いのは、それでもこの蒸留所が「海」を手放さないことだ。物語としての海は、科学的な説明が及ばないところで、たしかに飲み手の舌を導いている。
最初の一本をどう選ぶか
現在の定番は12年・15年・18年、そして希少な25年。まず手に取るなら、リフィルのアメリカンオーク主体で軽やかに仕上がる12年がいい。塩気とシトラスという蒸留所の芯が、いちばん素直に出ている。

Old Pulteney 12 Year Old
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