なぜウイスキーには、ビールのような「焦がした麦芽」がほとんど使われないのか——チョコレートモルトと、酵素という壁
スタウトの香ばしさを生むチョコレートモルト。同じ大麦麦芽なのに、ウイスキーではほとんど使われない。その背景にある酵素という壁と、あえて焦がすグレンモーレンジィ・シグネットやアードベッグ・アードコアの選択を読み解く。
スタウトやポーターを飲むと、はっきりとコーヒーやビターチョコの香りがする。あれは焙煎した麦芽——チョコレートモルトやブラックモルトと呼ばれる、深く焦がした麦芽が入っているからだ。
同じ大麦麦芽を原料にしているのに、ウイスキーの世界ではこの「焦がした麦芽」がほとんど使われない。ビール醸造家が当たり前に使う道具を、なぜ蒸留所は手に取らないのか。その理由と、それでもあえて焦がす造り手たちの話をしたい。
ビールでは当たり前、ウイスキーでは異例
麦芽づくりの最後の工程は乾燥(キルニング)で、ここでの温度が麦芽の性格を大きく左右する(発芽させてから乾かす理由はなぜ大麦をわざわざ発芽させるのかに詳しい)。
チョコレートモルトやブラックモルトといった焙煎麦芽は、乾燥のあとさらに焙煎ドラムへ移される。設定温度は200℃前後とされ、コーヒー豆の焙煎に近い世界だ。焼き加減が進むにつれ、香りはビスケット様からナッツ様へ、さらにチョコレート・コーヒー・モカへと移っていく。
一方、蒸留用の麦芽は65〜70℃という低い温度で穏やかに乾かされる。この差は手抜きではなく、意図的な選択である。
蒸留所が焦がさない理由——酵素という壁
低温にこだわる理由は、麦芽に含まれる酵素にある。
麦芽の第一の役割は、香りを出すことよりも「デンプンを糖に変える」ことだ。その仕事を担うのが発芽中に作られた酵素で、これは熱に弱い。高温で焙煎すれば酵素は失活し、デンプン自体も傷んでしまう。
とりわけスコッチでは、酵素製剤を後から足すという逃げ道がない。麦芽自身が持つ酵素だけで糖化しなければならないため、焙煎麦芽100%のスコッチは原理的に成立しない。
もっとも、これはスコッチ固有の規則の話でもある。アメリカやアイルランドにこの制約はないが、それでも焙煎麦芽を使う蒸留所は例外的なままだ。
ただし「混ぜたら必ず損をする」わけでもない。2022年に醸造化学の分野で発表された研究では、1割程度の少量配合なら通常の麦芽だけの場合と同等の効率が保てたと報告されている。焦がした麦芽は、使えないというより「一部に使うもの」なのだ。
それでも焦がす造り手たち
代表格がグレンモーレンジィのシグネットだ。クラフトビールで使われるような高温焙煎のチョコレートモルトを取り入れた最初のシングルモルトとされ、度数46%で瓶詰めされる。蒸留所はこの原酒を年に一週間だけ——「シグネット・ウィーク」と呼ばれる期間に——仕込むと説明している。ただしボトルの中身はチョコレートモルトの原酒だけではなく、蒸留所に眠る長熟原酒とマリッジして仕上げられている。

配合比率をはっきり公表した例もある。アードベッグが2022年に出したアードコアは、原料の25%に深く焙煎したブラックモルトを使い、残りは通常より軽めにピートを焚いた麦芽で構成した。全量ではなく四分の一という数字が、この手法の現実的な使いどころをよく表している。
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