本文へ移動なぜ山崎12年は、定価より高く売られても違法にならないのか——法が見張っているのは、むしろ「安すぎる値札」のほうだ | Malt Note酒販店のサイトで山崎12年を探すと、二つの数字に出くわす。
ひとつはサントリーの希望小売価格、税込17,600円(税別16,000円。2026年4月1日出荷分からの改定後)。もうひとつは、実際に買える値段だ。価格比較サイトの最安は、2026年8月時点で2万円台前半。4,000〜5,000円ほど上に離れている。
誰もが一度は思う。定価より高く売って、いいのか。
結論から書く。いい。そもそも日本の法律には、メーカーが決めた値段を小売店に守らせる仕組みが無い。むしろ独占禁止法が原則として禁じているのは、店が高く売ることではなく、メーカーが「この値段で売れ」と小売店を縛るほうである。値札の高さに腹を立てる相手として、造り手はいちばん的外れなのだ。
山崎 12年Yamazaki 12 Year Old
🇯🇵 日本 ・ 山崎蒸溜所 ・ シングルモルト ・ 12年 ・ 43%
まず言葉の整理から。ニュースで「値上げ」と報じられるとき、動いている数字は二つある。メーカーが卸に売る出荷価格と、メーカーが「この辺りで売ってほしい」と示す希望小売価格だ。
前者はメーカー自身の売値だから、自由に決められる。問題は後者で、こちらはあくまで提案にすぎない。公正取引委員会の「流通・取引慣行に関する独占禁止法上の指針」は、こう書いている。
事業者が設定する希望小売価格や建値は、流通業者に対し単なる参考として示されているものである限りは、それ自体は問題となるものではない
「単なる参考として示されているものである限りは」——裏を返せば、その域を出た瞬間に問題になる、ということでもある。この数年ずっと値上げが続いているとはいえ、メーカーが改定できるのは自分の出荷価格と、この「希望」まで。棚に貼られる値札を決めているのは、店のほうだ。
なぜ縛れないのか。条文を引く。独占禁止法第2条第9項第4号は、不公正な取引方法のひとつを、こう定めている。
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自己の供給する商品を購入する相手方に、正当な理由がないのに、次のいずれかに掲げる拘束の条件を付けて、当該商品を供給すること。
イ 相手方に対しその販売する当該商品の販売価格を定めてこれを維持させることその他相手方の当該商品の販売価格の自由な決定を拘束すること。
そして第19条が一行で締める。「事業者は、不公正な取引方法を用いてはならない」。違反があれば、公正取引委員会はその行為を排除するために必要な措置を命じることができる(第20条)。
条文には「正当な理由がないのに」という留保が付いているので、あらゆる価格の指示が即座に違法になるわけではない。それでも先の指針は、この行為を**「原則として不公正な取引方法として違法となる」と位置づけている。違法性に直結するのは、拘束によって流通業者間の価格競争が減少・消滅する**という一点だ。その前提にあるのが、「事業者が市場の状況に応じて自己の販売価格を自主的に決定することは、事業者の事業活動において最も基本的な事項」という考え方である。
肝心なのは「拘束」の中身である。指針は、拘束に当たるかどうかを**「事業者の何らかの人為的手段によって、流通業者が当該事業者の示した価格で販売することについての実効性が確保されていると認められるかどうか」**で判断するとしている。契約書に書いてあるかどうかではない。「希望小売価格を下回ったら出荷を絞る」と匂わせれば、それが人為的手段であり、拘束になる。
つまり、メーカーが「うちの12年を2万円で売るのはやめてくれ」と店に言って回り、聞かない店への出荷を止めれば、咎められるのはメーカーの側になりうる。値札の自由は、店に与えられた特権ではなく、競争のために誰にも奪わせない自由として設計されている。
もちろん例外はある。本屋に並ぶ本が値引きされないのは、この例外のためだ。
独占禁止法第23条は、二種類の再販売価格維持を適用除外にしている。第1項が「公正取引委員会の指定する商品」、第4項が「著作物」である。
前者、いわゆる指定再販は、もう空っぽだ。公正取引委員会は1997年(平成9年)4月1日に化粧品14品目と一般用医薬品14品目の指定を取り消し、これで昭和28年以降続いてきた再販指定商品の指定はすべて消えた。
残ったのが第4項の著作物で、こちらも公取委は範囲を絞って運用している。書籍・雑誌、新聞、レコード盤・音楽用テープ・音楽用CD——この枠だけだ。
ウイスキーは、どちらにも入っていない。「山崎12年は17,600円で売ること」とメーカーが決められる根拠は、日本の法律のどこにも用意されていない。
ここからが、酒という商品の面白いところである。値段の上を止める規制は無いのに、下を止める規制のほうは、酒にはもう一段厳しいものが用意されている。
安売りを止める規制そのものは、実はどの商品にもある。先ほど引いた第2条第9項第4号の、すぐ上の第3号がそれだ。「正当な理由がないのに、商品又は役務をその供給に要する費用を著しく下回る対価で継続して供給する」ことで「他の事業者の事業活動を困難にさせるおそれがあるもの」——いわゆる不当廉売である。
酒には、これに加えてもう一本ある。根拠は「酒税の保全及び酒類業組合等に関する法律」第86条の3。これに基づく国税庁告示が「酒類の公正な取引に関する基準」(平成29年3月31日国税庁告示第2号)で、2017年6月1日から施行されている。中身は、最終改正(令和4年3月31日)後の現行版でこうなっている。
2 酒類業者は、次のいずれにも該当する行為を行ってはならないものとする。
⑴ 正当な理由なく、酒類を当該酒類に係る売上原価の額と販売費及び一般管理費の額との合計額を下回る価格で継続して販売すること
⑵ 自己又は他の酒類業者の酒類事業に相当程度の影響を及ぼすおそれがある取引をすること
読み落としてはいけないのが「次のいずれにも」だ。⑴と⑵は積み重ねの要件で、原価割れで売り続けているだけでは足りず、それが自社や他社の酒類事業に相当程度の影響を及ぼすおそれがあって、はじめて基準違反になる。安売り一般を禁じた規則ではない。不当廉売との違いは、判定の物差しが「著しく下回る」ではなく総販売原価そのものである点、そして独禁法とは別に指示・命令の仕組みが用意されている点にある。
そして、国は実際に動いている。基準に従わない業者には財務大臣の指示(同法第86条の3第4項。告示では国税庁長官が行うと定められている)があり、その先には命令(第86条の4)も用意されている。令和5事務年度(2023年7月〜2024年6月)の調査では、**88件のうち84件で基準や指針に従っていない取引が見つかり、3件に「指示」、4件に「厳重指導」、77件に「指導」**が行われた。
指示が出た3件は、いずれも総販売原価を下回る価格での継続販売に加えて、商圏内の小売事業者へ相当程度の影響を与えていたと認められたものだ。安く売られていたのはビール系商品・清酒・RTD・焼酎で、相手はスーパーマーケット2件とディスカウントストア1件だった。
高すぎる値札を国が咎めた例は、ここには一件も出てこない。法は下限を見張り、上限は見ていない。
ちなみに、チケットには2019年6月14日施行のいわゆるチケット不正転売禁止法がある。ただしこちらも「定価超なら一律に違法」ではない。禁じられているのは、譲渡禁止の明示・日時と場所と座席等の指定・購入者の確認措置という要件をそろえた「特定興行入場券」を、業として行う有償譲渡で定価超で売る行為だ。反復性で線を引く点は、酒税法が「継続」の一語で線を引いているのとよく似ている。違うのは、酒のほうには値段の上限を定めた規定がそもそも無いことである。
それでも、多くの人が「平成の頃は定価で買えた」と感じている。あの感覚は錯覚ではない。ただし支えていたのは価格の規制ではなく、売る側の数の規制だった。
かつて酒類小売業免許には需給調整の要件があり、既存店との距離や地域の人口によって新規参入が抑えられていた。国税庁の資料をたどると、この距離基準の廃止は2001年1月1日、人口基準の廃止は2003年9月である。当初は距離基準を2000年9月に廃止する計画だったが、2000年8月の閣議決定で実施が2001年1月へずれ込んだ、という経緯まで残っている。
酒を売れる店が限られていれば、値引き競争は起きにくい。規制が解け、スーパーやディスカウントストアが本格的に酒を扱い始めると、値段は下にも上にも動き出す。いま棚で起きていることは、その延長線上にある。
角瓶Suntory Kakubin
🇯🇵 日本 ・ 山崎蒸溜所ほか ・ ブレンデッド ・ NAS ・ 40%
価格を指示できないなら、メーカーは無力なのか。そうでもない。動かせるのは値段ではなく、量と売り方のほうだ。
- 出荷する量そのものを調整する
- 抽選や事前応募で売る(抽選・くじの仕組み)
- 一人あたりの購入本数に上限を設ける
- 取引する販路を選ぶ
いずれも価格の拘束ではない。ただし線は細い。「希望小売価格を守らない店には出さない」という運用に踏み込めば、それは前節の「実効性の確保」に当たり、拘束と評価されうる。造り手が転売価格に正面から口を出しにくいのは、遠慮ではなく法の構造の問題なのだ。
そもそも、なぜ一部の銘柄だけが跳ね上がるのか。答えは値付けではなく原酒の量にある。「12年」と書かれた一本は12年前までの仕込みが天井で、今日の人気に今日応えることができない。値札の上振れは、その不足が二次流通で可視化されたものにすぎない。
最後に、実務的なことを書いておく。
「ウイスキーは定価で買えない」という言い方は、正確ではない。跳ね上がっているのは、品薄が慢性化したごく一部の銘柄だけだ。角瓶もブラックニッカも、酒販店やスーパーの棚に希望小売価格の前後で——ものによってはそれより安く——並んでいる。値段がピンからキリまで開く理由を知っておけば、高い一本が必ずしも自分の好みに合うとは限らないことも見えてくる。
ブラックニッカ クリアBlack Nikka Clear
🇯🇵 日本 ・ 余市蒸溜所ほか ・ ブレンデッド ・ NAS ・ 37%
そして、定価に近い値段で買う道はいくつもある。抽選、どこで買うかの選び方、ふるさと納税——いずれも、値札が自由であることを前提にした工夫だ。
- 日本の法律には、メーカーが決めた値段を小売店に守らせる仕組みが無い。あるのはメーカーの希望小売価格で、法的には参考値にすぎない。
- メーカーが小売価格を縛れば、独占禁止法第2条第9項第4号・第19条の再販売価格の拘束として原則違法になる。咎められるのは造り手の側だ。
- 値段を縛れる例外は、公取委の指定商品(1997年4月1日にすべて取消)と著作物(書籍・雑誌、新聞、音楽媒体)だけ。酒は入っていない。
- 酒に固有の価格規制は「下限」側にしかなく、しかも原価割れの継続販売と、自社または他社の酒類事業への相当程度の影響がそろって求められる。国税庁が指示を出した相手も、安く売った小売業者だった。
- 「平成の頃は定価で買えた」を支えていたのは価格規制ではなく免許の需給調整で、それぞれ2001年と2003年に外れている。
値札は、造り手ではなく店が決めている。そう思って棚を眺めると、同じ一本に違う数字が並んでいる理由も、少しだけ腑に落ちる。
角瓶Suntory Kakubin
🇯🇵 日本 ・ 山崎蒸溜所ほか ・ ブレンデッド ・ NAS ・ 40%
山崎 12年Yamazaki 12 Year Old
🇯🇵 日本 ・ 山崎蒸溜所 ・ シングルモルト ・ 12年 ・ 43%
同じグレンフィディック12年が、英国の高級スーパーでは£44、日本では3,960円から。価格差5,500円のうち税で説明できるのはどこまでか。日英の酒税を一次資料の数字で分解し、スコットランドの最低単価規制まで確かめる。