ウイスキーの香りは、訓練で嗅ぎ分けられるようになるのか——1,200時間でソムリエの脳は変わり、それでも嗅覚テストの点は動かなかった
「そのうち分かるようになる」と言われる。だが研究を並べると、薄さに気づく感度では専門家と初心者に差がつかない。1,200時間を積んだソムリエ学生も、嗅覚テストの点は動かなかった。伸びるのは、別の層だ。
「飲んでいれば、そのうち分かるようになるよ」
ウイスキーを飲みはじめた人が、必ず一度は言われる言葉だ。テイスティングノートに並ぶ「洋梨」「はちみつ」「潮」を自分の鼻では拾えず、それでも回数を重ねればいつか届くのだろうと信じて、次の一杯へ進む。
では、本当に届くのか。届くとして、伸びているのは何なのか。
嗅覚の研究には、ソムリエやパフューマーといった「鼻の専門家」を素人と比べた仕事が積み上がっている。それを並べていくと、意外なほどはっきりした輪郭が出てくる。「嗅ぐ力」はひとかたまりではなく、三つの層に分かれていて、層ごとに伸び方がまるで違う。
第一の層——薄さに気づく力は、テストに現れない
いちばん期待したくなるのは「感度」だろう。訓練を積めば、より薄い匂いにも気づけるようになるのではないか、と。
そこがいちばん動かない——少なくとも、テストの上では。
嗅覚における専門性の研究をまとめた2013年のレビュー(Royet ら、Frontiers in Psychology)は、この点を素っ気なく書いている——ワインの専門家と初心者・対照群を比べたとき、嗅覚の感度に差は認められなかった。しかもそれは、タンニンやアルコールといったワイン由来の成分でも、ワインと無関係の成分でも同じだった。
ただし、レビューの著者たち自身が留保を付けている。専門家がそもそも「閾値を測る課題」というもの自体に不慣れなだけかもしれない、と。「訓練しても一生上がらない」と言い切れるほどの証拠ではない。言えるのは、標準的な閾値テストで測るかぎり、年季は成績に現れていない、というところまでだ。
なお、そもそも何がどう届くかには生まれつきの個人差もある。そちらは同じ一杯が人によってまったく違う匂いに感じられるで書いた通りで、この記事とは別の軸の話になる。
第二の層——嗅ぎ分ける力は、専門家のほうが強い
だが「二つの匂いを区別する」弁別の力は、話が別だ。
同じレビューは、ワインやビールの専門家は素人より弁別や記憶の成績が良いとはっきり書いている。混合液の中からオイゲノールとシトラールを嗅ぎ分ける課題でも、ソムリエは未訓練の被験者を上回った。しかもこの種の知覚的な学習は比較的速く身につき、訓練に使っていない匂いへ般化することもある。
ひとつ、正直に断っておく。これは専門家と素人を同時に比べた横断研究であって、同じ人を追いかけて「弁別が伸びていく」ところを捉えた研究ではない。第一の層で「差がないから動かない」と読んだのと同じ型のデータを、ここでは「差があるから伸びる」と読んでいることになる。そこは割り引いて受け取ってほしい。
それでも、感度では差が出ないのに弁別では差が出る、という非対称は残る。専門家と素人を分けているのは、薄さへの感度ではないらしい。
第三の層——名前を当てる力は、放っておくといちばん遅い
では、いちばん手間がかかるのはどこか。匂いに正しい名前を貼る力である。
ソムリエ養成課程の学生を扱った2019年の研究(Chemosensory Perception)は、訓練開始から2か月以内の学生25人と、訓練を受けていない29人を比べた。この時点で学生が上回っていたのは、匂いの同定——嗅いで、それが何かを言い当てる課題だけだった。検知の閾値でも、弁別でも、記憶課題でも、差は出ていない。
ここで、第二の層に付けた「知覚的な学習は比較的速い」という話と噛み合わないように見えるかもしれない。だがRoyet らの言う「速い」は、何年もかかる意味的な習熟に比べれば、という相対的な話だ。2か月ではまだ弁別に差が出ていない、という結果と矛盾しない。
もっと厳しい結果もある。プロのソムリエ・訓練中の中級者・未訓練の飲み手を比べた研究では、訓練中の中級者は、プロにも未訓練の飲み手にも同定成績で劣っていた。一方、ワインを使った遅延照合の課題では、中級者もプロも未訓練者を大きく上回っている。ワイン以外の匂いを使った再認課題では、群の差は消えた。
研究者はこれを、知覚の側は速く身につくが、意味(言葉)の側はゆっくりとしか育たないという形で整理している。
ただし、「遅い」のは日常の飲酒に任せた場合の話らしい。課題を課せば、同定は6週間でも動く。 2019年に NeuroImage で報告された研究は、健常な若者36人を三群(嗅覚訓練・視覚の対照訓練・無訓練)に分け、うち一群に1日20分以上の嗅覚訓練を6週間課した。訓練群は全般的な嗅覚機能が対照群より改善し、とりわけ同定で伸びた。訓練の中身は強度の分類・質の分類・標的の検知といった知覚寄りの課題で、その効果が同定にまで及んだ——著者らはこれを、嗅覚という同じ感覚のなかで訓練していない別の能力にまで効果が波及する「モダリティ内転移」と呼んでいる。
三つ並べると、こうなる。薄さへの感度は、テストで測るかぎり動かない。弁別では専門家が上回る。名前を当てる力は、放っておけばいちばん遅く、意図的にやれば数週間で動く。 そして私たちが「分かるようになった」と感じるのは、たいてい三番目のことだろう。
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