なぜ「ウイスキー最古の記録」の修道士は、いまも何者か分かっていないのか——1494年の一行と、523年後にその舞台とされる土地に建った蒸溜所
ウイスキーの歴史はほぼ必ず「1494年」から語り出される。だがその一行を実際に開くと、年も、人物も、量も揃っていない。最古の記録が証明していること、していないことを確かめる。
ウイスキーの歴史を紹介する文章は、たいてい同じ数字から始まる。1494年。スコットランド王室の会計記録に、修道士ジョン・コーへ「アクア・ヴィテを造るために麦芽8ボル」を渡した、と書かれている——という一行だ。
この記事では、その一行を少し丁寧に開いてみたい。開いてみると、驚くほど多くのことが確定していない。年も、人物も、量もである。それでも記録は語り継がれ、いまではその土地に蒸溜所まで建っている。
記録に書かれていること、書かれていないこと
原文はラテン語で、王室の会計簿である「エクスチェカー・ロールズ(Exchequer Rolls)」に収められている。訳すとおおむね、「主計官(コンプトローラー)の指示により、申し立てによれば王の命で、この会計期間内にアクア・ヴィテを造るため、修道士ジョン・コーに麦芽8ボルを引き渡した」となる。スコッチウイスキー協会(SWA)も、これをスコットランドにおける蒸溜の最古の文献記録として紹介している。
太字にした「申し立てによれば(ut asserit)」は、会計を提出した側の言い分としてそう処理した、という監査上の留保である。王命だったと申告されたので、そのまま帳尻を認めた——現代の経費精算にも似た一言が、500年前の帳簿に残っている。
そして注意したいのは、書かれていないことのほうだ。この一行には、どこで造ったのか、どんな道具を使ったのか、どんな味だったのかが一切ない。あるのは「王の命だという申し立てのもとで」「麦芽を」「アクア・ヴィテにするために」渡した、という会計上の処理だけである。
それでも、この短さから読み取れることはある。国王ジェームズ4世の名のもとで、会計簿に載る量の麦芽が動いた——つまり15世紀末のスコットランドで、蒸溜はもう珍しい実験ではなく、王室が発注できる程度には確立した仕事だったということだ。最古の記録とは、たいてい「始まり」ではなく「すでに始まっていた証拠」である。
年が揃わない——1494年か、1495年か
まず年が揃わない。SWAをはじめ多くの資料は1494年とするが、ジョン・コーという人物の来歴を整理した資料では、この記述を1495年6月1日付として扱っている。米誌『Whisky Advocate』のように「1494/95年のエクスチェカー・ロールズ」と書く流儀もある。
これはどちらかが間違いという話ではない。エクスチェカー・ロールズは年度ごとに束ねられた会計記録で、暦年をまたぐ。会計年度を指すのか、記帳された日を指すのかで、同じ一件が別の年を持つというだけのことだ。1494という数字は、そのうち会計年度の側が定着したものである。
小さな話に見えるかもしれない。だが「ウイスキーは1494年に始まった」と言い切る文章の足元が、すでにこの程度には緩いということでもある。
人物が揃わない——ティロン会の修道士か、ドミニコ会士か
もっと大きな揺れは、ジョン・コーが何者かという点にある。
広く流布しているのは、彼がファイフのリンドーズ修道院に属したティロン会の修道士だった、という説だ。リンドーズ修道院は1191年(1178年とする資料もある)、ハンティンドン伯デイビッドがケルソー修道院の分院として創建した。この説に立てば、最古の記録の舞台はこの修道院ということになる。
一方で、これに否定的な見方もある。人物の側から記録をたどると、ジョン・コーはドミニコ会(説教者修道会)の修道士とされる。1962年、歴史家でありドミニコ会士でもあったアンソニー・ロスは、宗教改革以前のスコットランドの修道会についての覚書のなかで、『ピーター・マーチの公証人記録簿』の記述をもとに、コーをエディンバラのブラックフライアーズ(ドミニコ会修道院)の人物と同定できると論じた。
さらに、同じ人物とみられる「コー修道士」は、1488年にリンリスゴー宮殿でクリスマスの下賜金を受け取り、1494年のクリスマスにはフランドル・リール産の黒い布を、王室書記としての制服用に与えられている。修道院にこもって蒸溜していた人ではなく、王室に出入りする聖職者だった可能性があるわけだ。
どちらが正しいのかを、この記事では決めない。公開されている資料の範囲では、決めきるだけの材料がない。確かなのは、「リンドーズの修道士ジョン・コー」という一続きの肩書きが、記録そのものには書かれていないということである。
量も揃わない——400本か、1,500本か
8ボルの麦芽から、どれだけの酒ができたのか。ここも割れている。
SWAは、およそ1,500本ぶんに相当する量だと紹介する。一方、後述するリンドーズ・アビー蒸溜所自身は「現代のウイスキーでおよそ400本ぶん」と説明している。3倍以上の開きだ。
この差は、計算の途中で置く仮定の数だけ生まれる。**1ボルを何キロと見るか。当時の設備で麦芽1トンからどれだけの純アルコールが取れたと見るか。それを何度の酒として、何ミリリットルの瓶に詰めたと数えるか。**どれも15世紀の記録には書かれていないので、後世が置くしかない。仮定を四つも重ねれば、3倍の開きは簡単に出る。
そもそもボル(boll)は、地域と品目によって量の変わる単位だった。「大麦や麦芽ならおよそ6ブッシェル」という換算はよく引かれるが、これは後の時代に標準化された値であって、1494年の帳簿にそのまま当てはめてよいものではない。私たちは、後から決めた物差しを15世紀の記述に当てて数えている。「8ボル」という表記自体は正確でも、それが何本になるかは、推定の幅の中にしかない。
それでも、その土地に蒸溜所が建った
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