なぜアベラワーは「通が選ぶシェリーモルト」として静かに愛されるのか——ベン・リンネスの湧き水と、A'bunadhに宿る1898年の記憶
派手な宣伝はないのに、シングルモルト愛好家の棚に必ずと言っていいほど並ぶアベラワー。ベン・リンネスの軟水、慈善家が築いた蒸溜所、ダブルカスクの流儀、そして樽出しA'bunadhの熱狂から、その静かな愛され方を読み解く。
「知る人ぞ知る」という言葉がこれほど似合うシングルモルトも珍しい。大きな広告も派手なボトルもないのに、少しウイスキーを飲み進めた人の棚には、なぜかアベラワーが並んでいる。とりわけシェリー樽好きの間では、静かな、しかし確かな信頼を集める一本だ。この記事では、スペイサイドのこの蒸溜所がなぜこれほど愛好家に愛されるのかを、風土・人・造り・そして名物A'bunadhの四つの角度から読み解く。
ベン・リンネスの麓、聖なる泉の水
アベラワー蒸溜所は、スコットランド・スペイサイドのアベラワー村、ローバーン(Lour Burn)とスペイ川が合流する地に建つ。背後にそびえるのは、この一帯の名だたる蒸溜所が水を頼る名峰ベン・リンネス。その斜面を流れ下る水は、ピートと花崗岩の層をくぐるうちにやわらかな軟水となり、仕込みに使われる。
水源は「聖ドロスタンの泉(St Drostan's Well)」と呼ばれる。6世紀にこの地で布教したとされるケルトの聖人にちなむ名で、蒸溜所はこの泉のほとりに築かれた。派手さより静けさ——アベラワーの個性は、この土地の水にすでに表れている。スペイサイドという銘醸地そのものの魅力はスペイサイド・ウイスキー入門でも整理している。
「行いによって示せ」——蒸溜所を築いた慈善家
今日に続くアベラワー蒸溜所を築いたのは、地元の穀物商で銀行家でもあったジェームズ・フレミング(James Fleming)だ。1879年に蒸溜所を建て、1880年の暮れから蒸留を始めた。
フレミングの座右銘と伝わるのが「Let the Deed Show(行いによって示せ)」という言葉だ。その通り、彼は財を地域に還した人物だった。村初の公共ホール「フレミング・ホール」(1889年)、伝染病の隔離施設フレミング・コテージ病院(1900年)、そしてスペイ川に架かる歩行者橋——地元で「ペニー・ブリッジ」と親しまれるヴィクトリア橋は、彼の遺言による寄付で1902年に完成した。
多くを語らず、質でものを言う——アベラワーの酒の佇まいは、この創業者の流儀とどこか重なる。蒸溜所はいま、シーバスリーガルなどを擁するペルノ・リカール傘下で受け継がれている。
ダブルカスクという流儀
アベラワーの味を決めているのは「ダブルカスク・マチュレーション」だ。伝統的なオーク樽(主にバーボン樽)と、スペインのオロロソ・シェリー樽。この二種で熟成させた原酒を組み合わせることで、バニラや洋梨のような甘さに、シェリー由来のレーズンやスパイスの厚みが重なる。定番の12年ダブルカスクは、その調和をもっとも分かりやすく味わえる一本だ。
過度にシェリーへ振り切らず、フルーティさとのバランスを保つ——この「濃すぎない上質なシェリー感」が、幅広い愛好家に選ばれ続ける理由になっている。

Aberlour 12 Year Old Double Cask Matured
🏴 スコットランド ・ アベラワー蒸留所 ・ シングルモルト ・ 12年 ・ 40%
より長く寝かせた18年になると、樽の甘みとシェリーのコクがいっそう溶け合い、余韻が長く伸びる。
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