なぜアイルランドにスモーキーな「カネマラ」があるのか——会長も知らなかったピート原酒と、独占に挑んだクーリー蒸溜所
なめらかなイメージのアイリッシュに、なぜ煙たいカネマラがあるのか。かつてアイルランドにもあったピートの香り、独占に挑んだクーリー蒸溜所、そして日本のハイボール向けに仕込まれ眠っていた原酒——意外な誕生譚をたどる。
アイリッシュウイスキーと聞けば、多くの人は「なめらかで、煙たさとは無縁」という印象を持つはずだ。ところが酒屋の棚には、アイリッシュなのにしっかりスモーキーなボトルが並んでいる。サントリーが輸入する「カネマラ」(コネマラとも表記される)だ。
なぜアイルランドにピーテッドモルトがあるのか。たどっていくと、三つの話が重なっていた。「アイリッシュにも、かつて煙はあった」という歴史。業界の独占に挑んだ一人の起業家。そして「誰も狙っていなかった」という意外ななりゆきだ。この記事では、その三つを順に追っていく。
アイリッシュから煙が消えた理由
まず押さえておきたいのは、アイリッシュが昔から煙と無縁だったわけではない、ということだ。
18〜19世紀のアイルランドでは、各地で採れる泥炭(ピート)が、麦芽を乾かしたり蒸溜器を焚いたりする燃料に使われていた。とりわけ北西部ドニゴール州イニショーエン周辺の密造酒には、煙の香りをまとったものがあったと伝わる。英Whisky Magazineの記事によれば、1809年のベルファストの月刊誌に「煙たい密造酒に、正規品より高い値を払う客がいる」という趣旨の記述まで残っている。
ただし、それが国じゅうの標準だったわけではない。19世紀に入ると、ダブリン・コーク・ベルファストといった都市の大規模蒸溜所が主役になり、燃料にはイングランドから安く入る石炭が使われるようになった。同じ記事が引く1821年の収税当局の報告では、33の合法蒸溜所のうち、ピートを燃料にしていたのは5か所だけだったという。
20世紀に入ると、アイリッシュは衰退と統合を重ねる。1966年に3社が合併してアイリッシュ・ディスティラーズが生まれ、1972年には北アイルランドのブッシュミルズも加わって、島に残った蒸溜所はすべて一つのグループに収まった。造り手が一社になれば、語られる歴史も一つになる。こうして「アイリッシュ=ノンピートでなめらか」というイメージが定着していった。この盛衰の全体像はアイリッシュウイスキーの転落と復活で詳しく扱っている。
独占に風穴を開けたクーリー蒸溜所
この一社体制に挑んだのが、実業家のジョン・ティーリングだ。彼はダブリンの北、ダンドーク近郊のクーリー半島にあった国営のアルコール工場(ジャガイモから酒精を造っていた)を買い取り、1987年にクーリー蒸溜所を立ち上げる。ウイスキーの蒸溜を始めたのは1989年。当時、アイリッシュ・ディスティラーズの傘下にない、ただ一つのウイスキー蒸溜所だった。
船出は順風ではなかった。資金繰りに苦しんでいたクーリーに、1988年からペルノ・リカール傘下に入っていたアイリッシュ・ディスティラーズが買収を申し出る。しかしアイルランドの競争当局は1994年、この買収を認めなかった。認めれば、国内のアイリッシュウイスキー生産を事実上一社が握ることになるからだ。クーリーは独立を保ち、アイリッシュは「二つめの声」を失わずに済んだ(蒸溜所の基本情報はクーリー蒸溜所のページへ)。
造りの面でも、クーリーは主流と違う道を選んだ。多くのアイリッシュが3回蒸溜を看板にするなかで、クーリーは基本的に2回蒸溜を採る。3回目の蒸溜で風味が削がれるのを嫌ったためとされる。3回蒸溜とアイリッシュらしさの関係はなぜアイリッシュはスコッチと味が違うのかにまとめている。
会長も知らなかったピート原酒
では、肝心のピーテッドモルトはどう生まれたのか。ここが一番おもしろい。
2020年のWhisky Magazineの記事が伝えるティーリング本人の回想によれば、ピートを焚いた麦芽で原酒を仕込むと決めたのは、経営責任者(マネージング・ディレクター)のデビッド・ハインズと、熟成拠点のキルベガンを預かっていたブライアン・クインだった。狙いは日本市場。ハイボール用の原酒として売り込むつもりだったという。
会長のティーリングは、その計画を「何も聞いていなかった」と振り返っている。ところが当時のクーリーの販路は、日本どころかフランスにも届いていなかった。原酒は行き場のないまま、樽で眠り続けた。そして4年後、彼は自社に熟成したピーテッドモルトがあることに気づく。
ここからの判断が速い。ティーリングは若いマーケティングのインターンたちを集め、売り方の計画ができるまで帰るなと告げた。名前もボトルもラベルも彼らが考え、1996年に「カネマラ」が世に出る。名前はアイルランド西部、ゴールウェイ州の地方名から採られた。そのデザインは、いまもほとんど変わっていないという。
もちろん、これは本人が後年に語った話で、細部には語り手の演出も混じっているかもしれない。それでも「計画された伝統の復興」ではなく「眠っていた樽から始まった」という筋書きは、なんともウイスキーらしい。
煙の強さは「アイラの手前」
カネマラの煙は、アイラの重量級ほど強くない。ピートの効き具合の目安になるフェノール値は、アイラの代表的な銘柄のおよそ半分と紹介されることが多い(数値の意味はウイスキーのppmとはを参照)。麦芽の甘さが前に出て、そこに焚き火のような煙が寄り添うタイプで、ピート入門の一本としてもよく名前が挙がる。
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