なぜスコットランドの蒸留所には東洋風の「パゴダ屋根」が載っているのか——煙を出さなくなった煙突の話
蒸留所の屋根に載っている、東洋の塔のような「パゴダ屋根」。じつは装飾ではなく、麦芽を乾かす煙を抜くための煙突だった。1889年にチャールズ・ドイグが設計したこの形が、なぜいま煙を出さないまま残り続けるのかをたどる。
蒸留所の写真を並べていると、何度も同じ形が目に入る。屋根の上にちょこんと載った、四角錐の尖った塔。寺院か、東洋の五重塔のミニチュアのような、あの屋根だ。「パゴダ(pagoda)」と呼ばれるこの意匠は、いまやスコッチウイスキーの象徴そのもので、ラベルにもグラスにも土産物の缶にも描かれている。
だが、考えてみると奇妙な話だ。なぜスコットランドの、それも人里離れた谷あいの酒造りの現場に、東洋の塔が載っているのか。しかも、その多くはいま、何の役にも立っていない。
この記事では、パゴダ屋根がなぜ生まれ、誰が設計し、そしてなぜ「機能を失ったまま残っている」のかをたどる。
あれは飾りではなく、煙突だった
答えは、あっけないほど単純だ。パゴダ屋根は装飾ではなく、換気塔——つまり煙突だったからである。
かつて蒸留所は、麦芽(モルト)を自前でつくっていた。水に浸した大麦を石造りの製麦床に広げ、発芽させる「フロアモルティング」だ。芽が伸びるにまかせれば大麦は自分の養分を使い切ってしまうから、どこかで成長を止めなければならない。そこで登場するのが、キルン(乾燥棟)である。
発芽した大麦は、キルンの目皿状の床へ移される。その下層で火を焚き、熱と煙を上へ通して乾かすと、発芽は止まり、麦芽ができあがる。このとき燃料にピート(泥炭)を混ぜれば、煙が麦芽に染みつき、あのスモーキーな香りのもとになる。
問題は、その煙をどう抜くかだった。屋根の上に載った尖塔は、この煙の出口である。中は空洞で、下から上へと空気を吸い上げる。パゴダ屋根とは、要するに巨大な排気筒なのだ。
1889年5月3日、ダルユーインで引かれた線
この形を設計したのは、チャールズ・ドイグ(Charles Doig, 1855–1918)という建築家だ。スペイサイドの中心地エルギンに事務所を構え、ウイスキーブームに沸く蒸留所の設計を次々と手がけた人物である。
彼がそのスケッチを引いたのは、1889年5月3日、ダルユーイン蒸留所での打ち合わせの席だったと伝えられる。それまでのキルンの煙突は「枢機卿の帽子」と呼ばれる回転式のもので、風向きに左右されるうえ、雨が吹き込むこともあった。ドイグの新しい設計は、四方から空気を取り込んで火の「引き」を良くし、あわせて雨の侵入も抑える——機能から逆算された形だった。
この装置には「ドイグ・ベンチレーター(Doig Ventilator)」という正式な名前がある。評判はたちまち広まり、彼が関わった蒸留所は生涯で56か所にのぼった。オークニーのハイランドパークから、アイラのラフロイグ、カリラ、アードベッグまで。スコットランドの蒸留所の「顔」は、ほとんど一人の建築家によって決められたと言っていい。
皮肉なことに、その第一号——ダルユーインのパゴダは、1917年の火災で焼け落ちている。ドイグが世を去る、わずか一年前のことだった。
Dailuaine 16 Year Old Flora & Fauna
🏴 スコットランド ・ ダルユーイン蒸留所 ・ シングルモルト ・ 16年 ・ 43%
「パゴダ」と名づけた人は、わからない
面白いのは、ドイグ自身がこれを「パゴダ」と呼んでいないことだ。東洋の塔に似ているという理由で、いつのまにか人々がそう呼びはじめた。建築の用語としては、仏塔(パゴダ)ではなくキューポラ(小さな頂塔)と呼ぶほうが正確だ、という指摘もある。
つまりこの名前は、設計者の意図でも東洋趣味でもなく、見た人の連想が定着したものだ。機能から生まれた形に、あとから「異国の塔」という物語が貼りついた。
いまも煙を吐いている、数少ないパゴダ
では、あの煙突はまだ働いているのか。ほとんどの蒸留所では、答えは「いいえ」である。
20世紀後半、製麦は専門のモルトスター(製麦業者)へ外注するのが当たり前になった。均一な品質のものを、大量に、安くつくれるからだ。自前のフロアモルティングを続けている蒸留所は、いまやごく一握りしかない。米ウイスキー専門誌 Whisky Advocate は、稼働するフロアモルティングを持つ蒸留所を10か所と数える。バルヴェニー、ボウモア、ハイランドパーク、ラフロイグ、スプリングバンク、キルホーマンなどがその顔ぶれだ。
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