なぜいま、世界中で小さなウイスキー蒸留所が次々と生まれているのか——「待たされる酒」に、それでも人が挑む理由
十年前は指を折って数えられるほどだった日本の蒸留所が、いまや計画中を含め120超。看板商品が出せるまで何年も待たされる酒に、なぜこれほど多くの人が挑むのか。数字・制度・資金繰りの知恵、そして始まりつつある淘汰まで読み解く。
十年ほど前まで、日本でウイスキーを造っている場所は、指を折って数えられるほどしかなかった。それがいまや、準備中・計画中まで含めれば120を超える蒸留所が、北は北海道から南は沖縄まで名を連ねる。同じことがスコットランドでも、アメリカでも起きている。
だが、冷静に考えると不思議な話だ。ウイスキーは、造ってもすぐには売れない。看板になる熟成ウイスキーが出せるようになるまで、樽は何年も倉庫で金を食い続ける。ビールやジンのように、仕込んだ翌月に現金が返ってくる商売ではない。
なぜ人は、こんなにも「待たされる酒」にこぞって挑むようになったのか。
まず、数字を見てみる
スコッチウイスキー協会(SWA)によれば、スコットランドで稼働中の蒸留所は2026年時点で154か所。この10年あまり、新設ラッシュが続いている。
日本の伸びも急だ。ウイスキー文化研究所が2026年2月に出した『JAPANESE WHISKY YEARBOOK 2026』は、稼働中のものから準備・計画中のものまで含めて126の蒸留所を収録し、「日本で稼働するウイスキー蒸留所、史上最多を更新」とうたう。
ウイスキーは、本来「起業しにくい酒」だった
この増殖がいかに異例かは、ウイスキーという商売の構造を見ればわかる。
スコッチを名乗るには、法律で樽での最低3年の熟成が義務づけられている。日本は少し事情が違い、酒税法にはウイスキーの熟成年数の定めがない。だが「ジャパニーズウイスキー」を名乗るなら、日本洋酒酒造組合の自主基準が3年以上の国内熟成を求める。
しかも熟成中、中身は毎年少しずつ蒸発して目減りしていく。天使の分け前だ。
つまり創業から数年、看板商品は出せず、樽は減り続け、金は出ていく一方。設備投資は億単位になることも珍しくない。本来なら、大資本にしか手が出せない事業のはずである。
それでも増えたのは、「待つ価値」が跳ね上がったから
風向きを変えたのは、需要のほうだった。
ハイボールでウイスキーが日常の酒に戻り、海外での評価が高まり、やがて日本の定番銘柄は「買えない酒」になった。原酒が足りない。棚が空く。そこへ、値段の上昇が重なる。
作り手から見れば、これは「数年待てば、待った分以上の値がつく」という計算が立つ時代の到来だった。かつて在庫はリスクでしかなかったが、いまや樽は資産に見える。
最初の数年を生き延びる知恵
とはいえ、創業からの数年は誰にとっても正念場だ。そこで新興の蒸留所は、いくつもの手を編み出してきた。
ひとつは、ジンなど熟成のいらない酒の併産である。ジンは蒸留したその月に瓶詰めして売れる。嘉之助蒸溜所を営む小正醸造の「KOMASA GIN」、桜尾蒸溜所を持つサクラオB&Dの「SAKURAO GIN」のように、ウイスキーを寝かせているあいだ、同じ蔵元がジンで現金を回す例は多い。
もうひとつは、若い酒をそのまま売ってしまうこと。日本の酒税法には熟成年数の縛りがないため、蒸留したての酒や、数か月だけ樽に入れた酒を「ニューボーン」として商品化できる。飲み手は蒸留所の"素顔"を先に知り、造り手は現金を得る。もっとも、これを「ジャパニーズウイスキー」と名乗ることはできない。
さらに、蒸留所そのものを見せて稼ぐ道もある。SWAによれば、2024年のスコッチ蒸留所への訪問は270万件。ビジターセンターは合計で、スコットランド最大の集客を誇る観光アトラクションになっている。
樽単位で先に予約を取るプライベートカスクを用意する蒸留所も出てきた。要するに「未来の酒」を、いま売るのである。
日本では、制度も背中を押した
見落とされがちだが、日本は免許のハードル自体が低い。
酒税法(第7条第2項)が定める最低製造数量は、清酒とビールが年60キロリットルなのに対し、ウイスキーはわずか6キロリットル。10分の1である。年に700mlボトルで8,500本ほど造る見込みが立てば、免許の土俵に上がれる勘定だ。大資本の規模で始める必要がない——つまり「小さく始める」ことが、制度上許されている。
だからこそ、酒類の周縁から、そして外から、参入が相次いだ。焼酎「宝山」の西酒造が拓いた御岳蒸留所、同じく焼酎蔵・小正醸造の嘉之助蒸溜所、ウイスキーの輸入商だったガイアフローの静岡蒸溜所、酒類卸から転じた養父蒸溜所、そして隣の畑で自ら大麦を育てる飯山マウンテンファーム蒸溜所。出自はばらばらだ。
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