なぜ一部の蒸溜所は、いまも人の手で大麦を床にひろげるのか——効率で負ける製麦場が、消えかけ、また戻ってきた
スコットランドで自家製麦の床を動かしている蒸溜所は10軒に満たない。麦芽はニューメイクの製造コストの55〜60%、フロア製麦は収量が2〜5%落ちうる。それでも残す側と「あれはロマンだ」と言う側、双方の言い分と、近年の復活をたどる。
スコットランドの蒸溜所を見学すると、順路のはじめのほうに、やけに天井の低い、だだっ広い板張りの部屋が出てくることがある。床一面に大麦が敷きつめられ、木のシャベルを持った人がそれを黙々とひっくり返している。フロアモルティング——自家製麦の現場だ。
ところが、いまスコットランドにある百数十軒の蒸溜所のうち、この床を実際に動かしているのは10軒に満たない。バルヴェニー、ボウモア、ハイランドパーク、ラフロイグ、キルホーマン、スプリングバンク、ベンリアック、グレンギリー、ダンフェイル。数え方で前後するが、指を折れば済んでしまう数だ。
数字だけを並べれば、この製麦場はどう見ても分が悪い。その点は当事者もあまり否定しない。ではなぜ残っているのか。そして近年、なぜ一度たたんだはずの床を作り直す蒸溜所が出てきたのか。
床の上の10日間
大麦はまず水に漬けられる。ラフロイグならキルブライド川の水に2日。水を切った麦を床に広げると、麦は発芽を始める。狙いは、デンプンを糖に変える酵素を、麦自身に作らせることだ。
放っておくと麦は自分の熱でこもり、根を絡ませて塊になる。だから人が定期的に切り返す。ラフロイグは自社の説明で、麦芽床は最大7トンの大麦を受けもち、毎日ひっくり返すとしている。ハイランドパークでは8時間ごとに人の手が入る。
発芽が進みすぎる前に、キルン(乾燥塔)で熱を当てて止める。アイラやオークニーでは、ここでピートを焚く。ラフロイグの場合、ピートの煙をくぐらせるのが10〜12時間。同社はこれを低温での「冷たい燻し」と呼び、麦は火から約5メートル上に置かれる。
一巡におよそ10〜11日。それがフロアモルティングの時間感覚だ。
数字は、ほぼ全部「やめろ」と言っている
一方、商業モルトスターの設備はこうだ。ドラム式で一度に約30トン。サラディン箱で50〜150トン。GKVと呼ばれる大型槽なら400トンを6日で仕上げる。桁が違う。
麦芽は、ニューメイクスピリッツを造るコストの55〜60%を占めるとされる。過半を握る材料に規模の経済が効くのなら、外に出すのが合理的だ。実際、スコッチの需要が伸びた1960〜70年代、多くの蒸溜所は製麦場を広げなかった。その投資をマッシュタンやスチル、熟成庫へ回し、麦芽は買うことにしたのである。パゴダ屋根の下から煙が出なくなったのは、この時期の判断の結果だ。
追い打ちのような数字もある。フロアで作った麦芽は、1トンあたりのスピリッツ収量が2〜5%少なくなりうるとされる。手間は増え、酒は減る。
「偉大なウイスキーはExcelの上で作られない」
それでも残した側は、味が違うと言う。
いちばん具体的なのはラフロイグだ。自社のキルンで焚いた麦芽は、ポートエリンの製麦所から届く麦芽より、クレオソートのようなフェノール香が強く出る——だから床をやめない、と説明されている。使う麦芽のフェノール値は最低35ppm、蒸溜を経たニューメイクで18ppm。ただし自家製麦がまかなうのは必要量の約20%で、残りの約80%は買っている。それでも、その20%を作り続ける。
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