なぜグリーンスポットは「緑の点」と呼ばれるのか——ダブリンのワイン商が樽に塗ったペンキと、消えた「ボンダー」の時代
アイリッシュの名品グリーンスポットの名は、蒸溜所でも人名でもなく、ダブリンのワイン商ミッチェル&サンが樽に塗った緑のペンキに由来するとされる。原酒を樽で買って寝かせた「ボンダー」の商いと、四つの点のうち一つだけが生き残った理由をたどる。
アイリッシュウイスキーの棚に、「グリーンスポット」という緑のラベルのボトルが並んでいることがあります。直訳すれば「緑の点」。ウイスキーの名前としてはずいぶん素っ気なく、蒸溜所の名前でも、人の名前でもありません。
この名前は、ダブリンのワイン商が樽の鏡板(ふたの面)に塗った、ひと刷けのペンキに由来するとされています。この記事では、その「点」が何を意味していたのか、なぜ一軒の商店の印がいまも世界で売られる銘柄名として残ったのかを、アイルランドにかつてあった「ボンダー」という商いからたどります。
蒸溜所ではなく、ワイン商が育てたウイスキー
グリーンスポットを生んだのは蒸溜所ではありません。ダブリンのミッチェル&サン(Mitchell & Son)という酒商です。同社は1805年に菓子店として創業したとされ、のちにワイン商を営むようになります。1887年、一族のロバート・ミッチェルの代にキルデア・ストリートへ店を構え、ウイスキーの「ボンディング」を始めます。
当時のアイルランドでは、蒸溜所が自前でボトルを詰めて売るのが当たり前ではありませんでした。蒸溜所は熟成前の原酒を樽ごと酒商やパブ、食料品店に売り、買い手がそれを自分の貯蔵庫で寝かせて、自分の名前で瓶詰めしていたのです。こうした業者を「ボンダー(bonder)」と呼びます。税を納める前の酒を保税(ボンド)の状態で熟成させることから来た呼び名です。
スコットランドでもブレンデッドを育てたのは食料品店でした(→なぜブレンデッドスコッチには食料品店の名前が多いのか)。アイルランドでは、原酒を樽で買って寝かせ、自分の名で売る役を、酒商やパブが担っていたことになります。
空いたシェリー樽を、ジェムソンへ持ち込む
ワイン商のミッチェル社には、輸入したシェリーやポートワインの空き樽がありました。同社はこの樽をダブリンのジェムソンのボウ・ストリート蒸溜所に持ち込み、原酒を詰めてもらって、自社の貯蔵庫で熟成させたと伝えられています。
かつての造りについては、こんな説明がよく紹介されます。前半の5年ほどは、半分を濃いシェリー(オロロソなど)の樽で、残り半分を淡いフィノの樽で寝かせる。そのあと二つを合わせて、さらに数年熟成させる。濃いシェリー樽だけでは酒が樽の色と香りに負けてしまうので、それを避けるための配合だったとされます。
中身は、大麦麦芽と未発芽の大麦を一緒に仕込み、単式蒸溜器(ポットスチル)で造る、アイルランド独特の「ポットスチル・ウイスキー」でした(→なぜレッドブレストは「シングルポットスチルの王様」なのか)。
「点」は、樽の熟成年数の目印だった
ミッチェル社の説明では、樽には熟成させる年数ごとに色のペンキで印をつけていました。
- 青(ブルー)…7年
- 緑(グリーン)…10年
- 黄(イエロー)…12年
- 赤(レッド)…15年
パブの客がこの色で酒を頼むようになり、それがやがて商品名になった、という話も伝わっています。中でもいちばん人気だったのが、10年の「緑の点」でした。もっとも、「グリーンスポット」の名で瓶詰めされるようになったのは、ボンディングを始めてからしばらく後の20世紀前半のことだとされます。
ただし由来には別の説明もあります。年数ではなく配合の違いを色で分けていたという説や、ラベルに描かれた人物の背景の深い緑から名前が生まれたという説です。いずれも業者や販売店の解説で、どれかひとつに確定できる一次資料は見当たりません。ここでは、いちばん広く語られていてブランドを持つミッチェル社自身も採っている「樽の熟成年数の印」説を軸に紹介しました。
四つの点が、一つだけ残った理由
20世紀に入ると、アイリッシュウイスキーは長い低迷期に入ります(→なぜアイリッシュウイスキーは一度衰退し、復活したのか)。1966年にはジェムソン、パワーズ、コーク・ディスティラーズが合併してアイリッシュ・ディスティラーズが生まれ、ボウ・ストリート蒸溜所は1971年に閉鎖、生産はやがてコーク州の新しいミドルトン蒸溜所(1975年稼働)に集約されました。
この再編の中で、蒸溜所がボンダーに原酒を樽売りする商習慣も、1960年代の終わりから70年ごろにかけて途絶えたと伝えられています。原酒を自由に買えなくなれば、ボンダーの商いは成り立ちません。ミッチェル社も樽のコスト上昇などから四つのスポットを絞り込み、残ったのが看板のグリーンスポットでした。
そこで同社は1977年、アイリッシュ・ディスティラーズと取り決めを結びます。ミドルトンで造り、ミドルトンの樽で熟成させたグリーンスポットを供給してもらい、ミッチェル社はアイルランド国内での販売を担う、という形です。それでも量はわずかで、長いあいだ「知る人ぞ知る」銘柄にとどまっていたと伝えられています。
こうしてグリーンスポットは、ボンダーの時代から名前を途切れさせずに続く、珍しい銘柄になりました。
消えた点が、帰ってきた
風向きが変わったのは2010年代です。アイリッシュウイスキー人気の回復とともに、2012年にイエロースポット(12年)が復活し、2018年にはレッドスポット(15年)、2020年にはブルースポットも戻ってきました。2022年には、ミッチェル家がボンディングを始めた1887年から135年を記念した限定品「ゴールドスポット」も出ています。
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