なぜウイスキーは「洋酒」と呼ばれるのか——酒税法にも政令にも省令にも、その言葉は一度も出てこない
酒売り場の「洋酒」の札。だが酒税法にも施行令にも施行規則にも、その言葉は一度も出てこない。それでも免許の区分名、組合の名前、統計の名前として生き続け、ジャパニーズウイスキーの自主基準を作ったのも、その「洋酒」の組合だった。
酒売り場を歩いていると、棚の上に「洋酒」という札が下がっている。ウイスキー、ブランデー、リキュール。そこに並ぶ顔ぶれを、私たちは疑いもせずそう呼ぶ。ウイスキーは洋酒である——それはあまりに当たり前で、言葉として立ち止まる機会すらない。
ところが、酒税法の条文を最初から最後まで検索しても、「洋酒」という言葉は一度も出てこない。附則まで含めて0回である。政令の酒税法施行令にも、省令の酒税法施行規則にも、やはり0回だ。
それでいて、酒の卸売免許には「洋酒卸売業免許」という区分がある。業界団体の名前は「日本洋酒酒造組合」という。そしてジャパニーズウイスキーの名乗りに線を引いた自主基準を作ったのも、その組合だ。
法令が一度も使っていない言葉が、なぜ制度の中でこれほど生きているのか。棚の札を裏返していくと、日本人とウイスキーの、少し気恥ずかしい距離のとり方が出てくる。
法律は、ウイスキーを「洋酒」とは呼んでいない
現行の酒税法(昭和28年法律第6号)は、第2条第2項で酒類を四つに分けている。発泡性酒類、醸造酒類、蒸留酒類、混成酒類。この四種類の下に、第3条が全部で17の品目を並べる。
ウイスキーは蒸留酒類だ。同じ棚に置かれるブランデーも、ジンやウォッカを含むスピリッツも蒸留酒類。ところがリキュールと甘味果実酒は混成酒類に入り、ワイン(果実酒)に至っては醸造酒類である。
つまり、売り場で「洋酒」とひとまとめにされている酒たちは、法律の分類では別々の種類にばらばらに散らばっている。法は「洋酒」という束を作っていない。
作っていないのは、法が酒を分ける物差しが、まったく別のものだからだ。条文が見ているのは、泡が立つか、醸造か蒸留か、あとから何かを混ぜたか——要するに造り方である。西洋の酒か日本の酒か、という軸は最初から存在しない。清酒と焼酎とウイスキーは、生まれた土地ではなく、糖化と発酵と蒸留の組み合わせで仕分けられている(その物差しで焼酎とウイスキーがどう分かれるかはウイスキーと焼酎は何が違うのかに書いた)。
その意味で「洋酒」は、法律の言葉ではない。売り場の言葉であり、私たちの側の言葉だ。
戦後しばらく、ウイスキーは「雑酒」だった
もっとも、法律のそっけなさは今に始まったことではない。昔のほうが、よほど徹底していた。
1953年に酒税法が全面改正されたとき、条文はこう定めていた——「酒類は、清酒、合成清酒、濁酒、焼ちゆう、味りん、白酒、ビール、果実酒及び雑酒の九種類に分類する」。
九つ数えても、ウイスキーは出てこない。当時のウイスキーは、最後の雑酒に入っていた。
この「雑酒」という枠は、いまも酒税法に品目として残っている。定義はこうだ——「第七号から前号までに掲げる酒類以外の酒類」。名前のついた品目を全部挙げたあとの、その他。積極的に何かであるのではなく、どれでもないことによってそこに置かれるカテゴリーである。
国産ウイスキーは戦前からあった。角瓶の発売は1937年である。それでもトリスが世に出た1946年から1962年までの十六年間、日本人は法律の本則の上では「その他の酒」を飲んでいたことになる。
もっとも、まったく無名だったわけではない。当時の法は雑酒をさらに政令で品目に分け、製造免許も品目別に与えていた。ウイスキーという名前は、法律の本文ではなく、その一段下の世界にあったのだ。
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