なぜ13人が死んだのに、焼死者はゼロだったのか——1875年ダブリン、街を流れた燃えるウイスキーの川と、馬糞で堰き止めた消防隊長
1875年6月18日、ダブリンの下町リバティーズで約5,000樽の酒が燃えた。ミル通りの片側では幅60センチの火の川が400メートル以上続き、13人が命を落とす。だが誰一人、炎で死んだのではなかった。
1875年6月18日の夜、ダブリンの下町リバティーズを、燃えるウイスキーの川が流れた。
この火災で13人が亡くなっている。ただし、一人も炎で死んでいない。13人全員の死因は、急性アルコール中毒だった。
火事なのに焼死者が出ず、酒のほうで人が死ぬ。この記事では、その一夜に何が起きたのかと、消防隊長が「流れる酒には水を向けない」と決めた理由をたどる。
5,000樽が、ひと晩で街路に出た
火元は、リバティーズにあったローレンス・マローンの麦芽工場兼保税倉庫(bonded storehouse)だった。所在地の表記は資料によって分かれ、チェンバー通りとするものと、アーディー通りの角とするものがある。
夕方4時半すぎの見回りでは異常がなく、通報は8時半ごろ。9時半には、熱で樽が次々と破裂しはじめる。
倉庫にあったのは、ウイスキーを中心とする酒が約5,000ホグスヘッド。ガロンに直すと262,500インペリアルガロン、およそ119万リットルにあたる。評価額は当時の54,000ポンドで、被害総額は10万ポンドを超えたとされる。火が収まったあと回収できた樽は60本あまりで、残りは焼失したほか、行方が分からなくなったものも多かった。
流れ出た酒は火をまとったまま街路を伝い、35軒の家を焼き、路地にいた豚を何頭も殺した。ミル通りの片側では、幅およそ2フィート(約60センチ)、厚さ6インチ(約15センチ)の流れが400メートル以上にわたって続いたと記録されている。
ここで押さえておきたいのが「保税倉庫」という言葉だ。酒税を納める前の酒を、国の管理下で預かっておく倉庫を指す。つまり中に眠っていたのは、瓶詰め前・加水前の、樽のままの原酒である。市販の40%前後のボトルとはまったく別の濃さの液体が、5,000樽ぶん街路へ出た。
(加水しない樽出しの度数についてはカスクストレングスの記事で詳しく触れている)
なぜ消防は、流れる酒に放水しなかったのか
出動したのはダブリン市消防隊。指揮を執ったのは初代隊長ジェイムズ・ロバート・イングラムである。彼は1851年にニューヨークへ渡り、ローワー・マンハッタンの志願消防隊ナイアガラ・ホース・カンパニーで消防に携わった経歴の持ち主で、1862年に発足したダブリン市消防隊をニューヨーク方式で編成した人物だった。
そのイングラムが、街路を流れる火の川には水を向けなかった。
念のため補っておくと、水をいっさい使わなかったわけではない。ポンプとホースは現に使われており、兵士がポンプを漕いで隊員のホースを支えている。イングラムが水を向けなかったのは、路上を流れていく酒に対してだ。
その理由は、よく「ウイスキーがガソリンのように水に浮いてしまうから」と説明される。ただしこれは正確ではない。エタノールは水とどんな割合でも混ざるので、ガソリンのように水面へ浮くわけではないからだ。
当時の記録に理由が書き残されているわけではないが、現場で起きることを考えれば答えは見えてくる。燃えなくなるところまで薄めるには、流れ出た酒の何倍もの水を、流れているその場所へ同時に注ぎ込まなければならない。手押しポンプの時代に、それは無理だ。そして傾斜のある街路へ放水すれば、薄まって火が消えるより先に、燃えている液が水流に押されて下流へ広がってしまう。
では何を使ったか。灰、タン(なめし革工場から出る使用済みの樹皮)、そして馬糞だった。砂と砂利では足りず、イングラムはダブリン市に周辺の馬糞をかき集めさせ、荷車で路上へ運び込ませた。燃える液の前に堤を築いて堰き止め、吸わせて止めたのである。
当夜出動できたのは、隊員23人のうち15人。これに兵士200人と警官150人が加わり、ポンプの操作、資材の投入、救出、群衆の整理にあたった。回収した樽を守っていた兵士が市民に襲われ、銃剣を構える一幕まであったという。
なお現代でも、アルコールのように水と混ざる液体の火災には普通の泡消火剤が使えない。泡が溶かされて崩れてしまうため、耐アルコール性の泡剤が別に用意されている。アイルランドの消防業界誌には、「100年後なら泡で消していただろう——その泡も有機物だ。手に入るもので同じことをやったのだから、彼は100年先を行っていた」という趣旨の史家の談話が載っている。
13人を殺したのは、火ではなく路上を流れた酒だった
そして、群衆が集まった。
当時の様子を伝える記述によれば、帽子や取っ手つきの器など、ありあわせの容器が奪い合うように使われ、人々は流れる酒を掬い上げたという。容器を持たない者は、自分の靴で受けて飲んだ。
飲まれたのは、加水前の高い度数の原酒である。しかも灰やタン、馬糞をまいた路上を流れてきた液だ。それを、量の見当もつけないまま飲んだ。
アルコール中毒で病院に運ばれた者は、記録に残るだけで24人。ミース病院に8人、ジャーヴィス・ストリート病院に12人、ドクター・スティーヴンス病院に3人、マーサーズ病院に1人。ただしこれは搬送された分だけで、路上で動けなくなった者すべてを数えた数字ではないとされる。死者は13人にのぼった。この24人と13人がどれだけ重なるのかは、記録からは判然としない。名前が残る一人は、21歳の労働者ウィリアム・スミスだ。
ウイスキーが「少しの量でもしっかり効く」のは、度数が高く、少ない体積にたくさんのアルコールが詰まっているからだ(純アルコール量の話)。その原液が無制限に、しかもタダで流れてきたとき何が起きるかを、この夜は最悪の形で示した。
1875年のダブリンは、世界有数のウイスキー都市だった
この事故の背景には、当時のダブリンの姿がある。19世紀後半のリバティーズ周辺には、世界へ輸出する大蒸溜所が集まっていた。
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