なぜバーボンの樽は「53ガロン」なのか——半端な数字を決めたのは、戦時の木材不足と熟成庫の「棚」だとされる
バーボン樽はなぜ53ガロン(約200リットル)なのか。法律に定めはなく、TTBの「約50ガロン」定義案も2020年に取り下げられた。戦前の48ガロンから広がった経緯を、木材不足と1879年特許の棚からたどり、通説の確度も見きわめる。
バーボンの樽は53ガロン。リットルに直すと約200リットルになる。
50でも55でもない。ずいぶん半端な数字だが、ケンタッキーの大手蒸溜所はほぼ例外なくこの大きさの樽で熟成させている。しかも後で見るとおり、法律がこの数字を決めているわけでもない。
この記事では、53という数字がどこから来たのかを、戦時中の木材不足と、熟成庫に組まれた「棚」の二つからたどる。先に断っておくと、これは公文書で確かめられた話ではなく、業界で語り継がれてきた説明だ。どこまでが確かで、どこからが推測なのかも、あわせて書いておく。
法律は、樽の大きさを決めていない
まず押さえておきたいのは、アメリカの規則は樽の容量を指定していないということだ。バーボンに求められているのは「内側を焦がした、新しいオークの容器」で熟成させること。何ガロンの樽かは書かれていない(→なぜバーボンは新品の樽しか使えないのか)。
この点を定めようとした動きはある。アメリカの酒類を所管するTTB(酒類タバコ税貿易局)は2018年11月の規則案で、「オーク樽」を「容量およそ50ガロンの円筒形のオーク容器」と定義しようとした。
ところが、これには700件近い反対意見が寄せられた。小さな樽で熟成を工夫しているクラフト蒸溜所の手足を縛る、というのが主な理由だ。2020年4月に出た最終規則で、TTBはこの定義を取り下げている。
つまり53ガロンは、規則ではなく慣習でそろった数字だということになる。
戦前の樽は「48ガロン」だった
では、その慣習はいつ生まれたのか。
ウイスキーライターのルー・ブライソンが2008年、この疑問をヘヴンヒル蒸溜所の広報担当ラリー・カスに投げたことがある。カスは樽メーカーのインディペンデント・ステーヴと、バーボン史研究家のマイク・ヴィーチに確認し、答えはおおむね次のようなものだった。
- 第二次世界大戦の前まで、標準の樽は48ガロン(約182リットル)だった
- 熟成庫の棚は、この48ガロン樽が収まるように造られていた
- 戦争中、樽を作るための木材が不足し、樽を大きくして1本あたりに入る量を増やすことにした
樽を大きくすると、詰められる酒の量に対して使う木の割合が下がる。同じ量のウイスキーを寝かせるのに必要な樽の数が減り、木材も熟成庫の場所も節約できる、という理屈だ。
ヴィーチは自身のブログで、このとき樽を締める鉄の輪(フープ)も8本から6本に減らされ、木材と金属の両方を節約したと書いている。
この問いに答えてくれたヘヴンヒルの代表銘柄の一つが、エライジャ・クレイグだ。いまも53ガロンの新樽で熟成させている。

上限を決めたのは「棚」だった
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