なぜバーボンはケンタッキーで生まれ、「本場」であり続けるのか
バーの棚を埋めるバーボンは、なぜどれも「ケンタッキー」を掲げるのか。じつは法律上はケンタッキー産である必要はない。それでもこの州が本場であり続ける理由を、石灰岩の水・あり余るトウモロコシ・熟成を促す寒暖差という自然の条件と、名前の由来をめぐる諸説から読み解く。
バーの棚に並ぶバーボンの多くは、ラベルのどこかに「ケンタッキー」の文字を掲げている。アメリカ産ウイスキーといえばバーボン、バーボンといえばケンタッキー——この結びつきはあまりに強固だ。だが、そもそもなぜバーボンはこの内陸の州で生まれ、いまも「本場」と呼ばれ続けるのだろうか。
じつは「ケンタッキー産」でなくてもいい
意外に思われるかもしれないが、バーボンを名乗るのにケンタッキー産である必要はない。アメリカの法律が定めるバーボンの条件は、大きく言えば「アメリカ国内で造ること」「原料の51%以上をトウモロコシとすること」「内側を焦がした新しいオークの樽で熟成させること」などで、産地を州で縛る規定はない。事実、テキサスやニューヨークなど各地でバーボンは造られている。1964年にはアメリカ議会がバーボンを「アメリカ合衆国固有の産品(distinctive product of the United States)」と決議し、国全体の酒として位置づけた。
それでも現実には、市場に出回るバーボンの大半がケンタッキー産だ。ラベルに堂々と記される「ケンタッキー・ストレート・バーボン」は、その州で造られた誇りの証でもある。では、産地が義務でもないのに、なぜこれほどまでにケンタッキーへ集中したのか。答えは、この土地が持っていた三つの好条件にある。
石灰岩の水、あり余るトウモロコシ、そして寒暖差
第一が水だ。ケンタッキーの大地は石灰岩(ライムストーン)の層に覆われ、地下水はそこを通るあいだに鉄分を取り除かれる。鉄はウイスキーに不快な風味や濁りをもたらすため、その少なさは仕込みに有利に働いた。加えてカルシウムなどのミネラルは発酵を助けるとされる。
第二が原料だ。18世紀末、東部から移り住んだ開拓者たちは、この肥沃な土地でとれすぎるほどのトウモロコシを持て余した。かさばって傷みやすい穀物も、蒸留して酒に変えれば日持ちし、運びやすく、高値で売れる。川を下って各地の市場へ届けられる「換金できる穀物」として、トウモロコシの酒は理にかなっていた。

第三が気候だ。ケンタッキーは夏は蒸し暑く冬は冷え込む、寒暖差の大きい土地。この温度変化にともなって、酒は焦がしたオーク材へ浸み込み、また染み出しをくり返し、熟成が力強く進む。若い年数でも豊かな色と甘い香りがつくのは、この気候の後押しが大きい。
「バーボン」という名前の謎
もっとも、名前の由来ははっきりしない。有力とされるのはケンタッキー州の「バーボン郡」に因むという説だが、決着はついていない。かつてこの地の酒がオハイオ川を下ってニューオーリンズへ運ばれ、繁華街バーボン・ストリートで売られるうちに名が定着した、という異説もある。さらに両者の元をたどれば、フランスの名門「ブルボン家」に行き着く。いずれの説も確証を欠き、諸説あるというのが実情だ。
蒸留の起源にも似た事情がある。18世紀後半、バプテスト派の牧師で蒸留家でもあったエライジャ・クレイグが「バーボンの父」としてしばしば語られるが、これは後世に膨らんだ逸話の色が濃い。内側を焦がした新樽での熟成を彼が最初に始めたという逸話も、彼ひとりの功績と断じる史料はなく、複数の造り手が徐々に見いだしていったと考えるのが穏当だろう。
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