なぜ知多は、ブレンドの「裏方」から主役になれたのか——だしに喩えられたグレーンと、風香るハイボール
響や角瓶の味を土台で支えながら、40年以上も全国発売のラベルに名前が出なかった知多蒸溜所。2015年、その名を冠したシングルグレーン「知多」はどうして生まれ、なぜハイボールで愛されるのか。
「響」も「角瓶」も「オールド」も、その味の土台には同じ蒸溜所の酒が流れている。にもかかわらず、その蒸溜所の名が全国発売のボトルのラベルに出ることは、40年以上ものあいだなかった。
愛知県知多市。伊勢湾に面した臨海工業地帯の一角にあるその蒸溜所は、2014年にまず愛知県内の飲食店限定という小さな形で名を世に出し、翌2015年、ついに全国向けの一本を送り出す。シングルグレーンウイスキー「知多」である。
この記事では、なぜグレーンウイスキーが長く「裏方」に置かれてきたのか、そして知多がどうやって主役になれたのかを追いかける。
「だし」と呼ばれてきた酒
ウイスキーの世界で、グレーンウイスキーは長らく脇役だった。個性を強く主張するモルトに対し、グレーンは軽やかで穏やか。
知多市がまとめた資料は、この酒を"サイレントスピリッツ"と紹介し、和食の「だし」に喩えている。それ自体が前に出るのではなく、モルトの個性を引き出し、全体をまとめる。ブレンデッドウイスキーの土台とは、そういう仕事だ。
グレーンがなぜこれほど軽やかになるのかは、連続式蒸溜という仕組みそのものに理由がある。だからこそ、グレーンは長く単体で売られてこなかった。裏方は裏方として完結していた。
トウモロコシ船が着く港に、それは建った
知多蒸溜所を運営してきた株式会社サングレインが設立されたのは1972年。サントリーと全農グループの共同出資による会社で、翌1973年に蒸溜所が竣工した(2019年に「サントリー知多蒸溜所株式会社」へ社名変更している)。
なぜ愛知県知多市だったのか。同市の資料によれば、理由はきわめて実務的だ。ひとつは、原料のトウモロコシを積んだアメリカからの船が、この港に着くこと。もうひとつは、滋賀県の近江エージングセラーと山梨県の白州蒸溜所のちょうど中間にあたること。
隣接する全農のサイロからは、ベルトコンベアで原料が直接運び込まれる。主原料は米国産のイエローデント種のトウモロコシが約9割、糖化を促すための大麦麦芽が約1割。仕込水には木曽川を水源とする愛知用水の軟水を使う。
ロマンよりも先に、物流と農業のインフラがあった。知多はそういう蒸溜所である。
一つの蒸溜所で「造り分ける」
ここに、知多が単独で一本になれた理由がある。
知多蒸溜所は多塔式の連続式蒸溜機を備え、蒸溜塔の組み合わせを変えることで、性格の異なる複数の原酒を造り分けている。芳醇な穀物感の残る「ヘビー」、バランスの取れた「ミディアム」、そして軽くほのかに甘い「クリーン」——大きく三つのタイプだ。
複数のタイプを意図的に造り分けるこの設計は、グレーン蒸溜所としてはかなり踏み込んだものだ。しかも熟成にはバーボン樽を中心に、スパニッシュオーク樽やワイン樽も使われる。
つまり知多は、蒸溜の段階でも樽の段階でも、自分の中に複数の引き出しを持っている。だから一つの蒸溜所の中だけで、複数の原酒を重ね、一本に組み立てることができる。
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