なぜ酒を禁じた国で、モルトウイスキーが造られ続けているのか——パキスタンの条文が引いた線と、約半世紀ぶりに開いた扉から出ていったもの
人口の96%がムスリムで酒が禁じられたパキスタンに、1860年創業の醸造所が一軒ある。条文を開くと、そこにあったのは一律の禁止ではなく、誰がどこでなら飲めるかという線と、聖職者の署名を添えて出される許可証だった。
パキスタンは、人口のおよそ96%がムスリムで、酒が法律で禁じられている国だ。そのパキスタンに、1860年から酒を造り続けている会社が一軒ある。ビールだけではない。もろみをポットスチルにかけ、オーク樽で十年以上寝かせたシングルモルトウイスキーを、いまも造っている。
「禁じられているのに、なぜ?」と身構えると話が止まってしまう。条文を開くと、そこに書かれているのは一律の禁止ではなく、誰が・どこでならという線と、どれだけまでという物差しだった。そしてもうひとつ、半世紀近く輸出を塞いでいたものの正体も、酒を罰する条文とは別のところにあった。順に見ていく。
丘の上の、英国軍のためのビール工場
会社の名前はマリー・ブルワリー(Murree Brewery)。創業は1860年、いまのパキスタン北部が英領インドだった時代である。避暑地マリーの丘、ゴラ・ガリと呼ばれる場所に、英国の軍人と行政官が飲むビールを造るために建てられた。名前のとおり、出発点はあくまでビール工場だ。モルトウイスキーに手を出すのはずっと後、1960年代のことになる。
その後の歩みは平坦ではない。1935年のクエッタ地震で同社の蒸溜施設が壊れ、1947年にはゴラ・ガリの工場が焼けた。本拠は次第にラワルピンディへ移り、赤煉瓦の工場は今日まで街の風景の一部になっている(『Profit by Pakistan Today』2026年4月30日)。
パキスタン建国後、会社はバンダラ家の手に渡った。一家はパールシー——インド亜大陸に渡ったゾロアスター教徒の末裔で、ムスリムではない。この「少数派である」という一点が、のちに会社が酒の商売を続けられるかどうかを左右することになる。現在の経営者イスファニヤール・バンダラは三代目にあたり、国会議員でもある。
「禁じられている」の中身を、条文で読む
パキスタンで禁酒が導入されたのは1977年、ズルフィカール・アリー・ブットー政権下でのことだ。のちにムハンマド・ジアウルハク政権で厳格化された。いま制度の骨格になっているのは、1979年の「禁止(ハッド施行)令」(Prohibition (Enforcement of Hadd) Order, 1979)である。
まず押さえておきたいのは、この令が原則禁止の法だということだ。第3条は、酒類を含む「酩酊物」の輸入・輸出・輸送・製造・加工・瓶詰め・販売・提供を、5年以下の拘禁と30回以下の鞭打ち、および罰金で罰すると定める。第4条は所持を罰する。ここだけ読めば、逃げ道はない。
逃げ道は、そのあとに用意されている。
飲酒についての条項は、対象で分かれている。成人ムスリムの飲酒は第8条の「ハッドに当たる飲酒」で、刑は鞭打ち80回。それが立証できない場合などを受けるのが第11条の「タァズィールに当たる飲酒」で、3年以下の拘禁または30回以下の鞭打ち、あるいは併科となる。そしてこの第11条が、非ムスリムについて線を引き分けている。
- パキスタン国籍の非ムスリムは、「自分の宗教が定める儀式の一部として」であれば罪に問われない。
- 非ムスリムの外国人は、「公共の場で」飲まなければ罪に問われない。
所持についても同じで、第4条には但し書きがあり、非ムスリムの外国人と、宗教儀式に際して合理的な量を手元に置く非ムスリムのパキスタン国民は適用外とされている。
さらに第5条が、「この令や規則、許可(ライセンス)に従って行われた行為には、第3条・第4条を適用しない」と定める。その許可の根拠が第17条だ。医療・科学・工業などの目的に加えて、「パキスタン国籍の非ムスリムが宗教儀式の一部として消費するため」あるいは「非ムスリムの外国人が消費するため」のライセンスを、州政府(および州政府の下にある徴税官)が「機関に関して」出せる、と書いてある。実際の酒類製造・販売の免許は、これを受けた州の規則の側で細かく分類されている。
マリー・ブルワリーが操業を続けられてきたのは、この構造の上にある。禁止の抜け穴ではなく、法が最初から用意していた例外の窓口だ。
許可証には、「祭礼に際して」と書いてある
では、その許可証は実際どういう紙なのか。制度は州ごとの規則で定められているので、ここではハイバル・パフトゥンクワ州の「禁止(ハッド施行)規則」(1980年)を例に見てみる。酒類の許可証は二種類ある。
PR-I は、21歳以上のパキスタン国籍の非ムスリムに交付される。許可証の様式そのものの見出しにこう書かれている——「非ムスリムのパキスタン国民が、その宗教の定める祭礼の機会に際して、外国酒を購入・所持・運搬・消費するための許可証」。記入欄には、氏名、父の名、年齢に続いて「許可の対象となる宗教祭礼の名称」「認められるユニット数」「有効期間」が並ぶ。
申請の側はさらに露骨だ。申請様式PR-IIIには、ヒンドゥー教パンチャーヤトの長、教会の宗教指導者、パールシーの司祭、あるいは地元評議員が署名する証明欄がある。つまり「あなたは確かにその宗教の信徒で、この祭礼がある」と第三者に保証させたうえで、酒を買う紙が出る。
PR-II は、有効なパスポートを持つ非ムスリムの外国人向けだ。こちらは「自分の住居、または自分が使用しているホテルの部屋での」個人消費に限られる。
量の数え方も決まっている。許可証に書く数量は「ユニット」で表し、クォート瓶で数えて、が等価とされる。ただし上限そのものは規則に書かれておらず、州の酒税長官が随時定める建て付けだ(規則18)。許可証は他人に譲れず(規則15)、買える店も免許を持つ指定の酒販店に限られる。
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